タイトルを歌詞から引用するのはシャバいんかなどうかなと思いながら。相変わらずチャットモンチーを聴いている。冬に聴くチャットモンチーで思い出したことがある。
10年なんて15年なんてもっとなんて直ぐ経つんだけど、センター試験とか、自分の人生の中でわりとピリついてた期間のことを思い出す。冬の試験はしんどい、と思ったけど試験はいつでもしんどい。点数が全てで結果が出せなくて上手い心配のかけ方すら分からなくて主張よりも先回りしたこと、どう思われてるかとか想像に対する反応しか出せなかった、先の見通しが立てられなかった、等々。環境起因ではあるけどそれに気づきもしなかった、実家を離れて7回目の冬はたと気づいた。自分を緊張させ続け叱咤激励して追い込むことでしか動かし方を知らなかった、ことに気づいたのも、今で。パフォーマンスを発揮させるにはそれじゃダメだよ、休まないといけないよ、ってことはだれもおしえてくれなかったもんな。こういうことを考えるとき、居なかった自分が見つかったみたいで、変な気持ちだ。自分が自分でいられない時間が長かったからそう思うのかな。だいたいはそう。
自分でいられるって何だろうね、多少なりとも先のことを考えられるとかかな。テストの点数じゃなくて仕事の成果じゃなくて、多分必要なのは安心感とか、自分が受け容れてもらえるとかで。本当に欲しかったのは点数でも学歴でも成果でもなく、自分が否定されないとか、居ていいとかだった。分かってみたら単純で、気づきたくもなかったのかもで、幽霊の正体見たり枯れ尾花ということ。自分の中で膨らんでいる者ばかり言葉にするのが上手でも本心は別にそんなに膨らんでなかった。ずっとそこにある本心をこうして言葉にするのに15年以上かかったな。センター試験の点数が悪くてとか内定が出なくてしんでしまいたいときは多分それ本心じゃなくて、安心が欲しかった。でもその時の頭ではそれは考えられなかったね。そして今そうは思わないのは、環境が整備され自分で出来ることが認識されてるからで…特権を得たからで。つくづく、運要素すぎる。取り残されたほうの自分がちらちら見える。いつかその取り残されたほうを助けられたらいいが、多分拒まれるでしょう、そしたら共存するしかないでしょう。
観劇の感想をブログに書くのは自分が何考えてるか知りたいから、が先立ってて、人に伝えるのは、伝わったらいいなぁのおまけじゃないかと思う。公開のブログに書くことで多少なりとも外向けの文章になるからそうしてるだけで。伝えたいよりも自分のこと分かりたい、が先なのかもしれない。自分のことを分かりたいし人のことも分かりたい、出来るだけ仲良くしたい、とかがある。このところ急に友達が大事だとか、切磋琢磨なんて勝手にするから元気なだけでいいじゃないかとか思うし…
チャットモンチーをずっと聴いていて年齢が半分になった気持ち、ティーンの自分が自分の中から現れて少しどうしようもない気持ち。高校生の時の話、ドイツ語が好きでノートを装飾するのが好きでゾウが好きで音楽が好きで芸術が好きで、服の趣味なんかも戻ってきてしまった。年相応じゃないと、老け込まないと、って思ってしまう、老けってなんだろう医療費は毎年15万円以上飛ぶのにな(その額面は老けか?)所帯を持っていないからね、子供を産み育てていないからね、自分一人の時間軸なら、老いも何も気づけるときが少ないのかも。そして自分が世話をする家族もいないからね、実家も捨ててしまったからね、でも子供部屋じゃないのに、何かが子供部屋から出てきた気分だ。自分の中に子供部屋があるのかな、自分がそれを許してるならあってもいいのかもな。買い込んできたグッズとかは子供部屋の部分だなあ。楽しいならいいか。
観ることも音楽をやることも自分が好きでやること何もかも自分の解像度が上がっていく。楽しいだけで終わればいいのに、自分の理解なんてしても仕方がない、かもしれないのに。どうしようもないです。そう思うから推し活くくりされたくないんでしょうね、偏屈だから。自分が自分でいられる感覚があるのも年末年始の休み、そして今ちょっと暇な時期(一応仕事はしている)だからかもしれない。動けないまま走り続けると動けないことにも気づけないからなぁ。
とりとめもない話でした。よかったらマシュマロ投げていただけますと励みになります。よろしくお願いいたします。


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