勤労!うっかり労働が続いてしまいました。
就労が全てはない、賃金を稼ぐことが全てではないですが、それでも続いてるのってまあ偉いと思いますので自分を褒めますね。といっても100嬉しい偉い自分はよくやってる!じゃなくて、「あっち側」においてきた実家と一緒に何か大事なものも今持ってない感じもあって、別にそんなに良くないです。ただ、ただ…自活しないと見えない景色の中にいるというだけで。
新卒の自分が書いたmixi日記を読み返しながら、未熟で青くて悪いほうの繊細さがあってたいへんだね~と思った。そのせいで自分と他人の境界がないに尽きる。そこから年数をかけてある日ガッと線が明確に見えるのですが、未熟の自覚を持つとしぬときにそれは無理で、そして未熟の自覚を持たないことで自分を守っていたのかも、と思う。一言でいうと原家族の、親の影が濃い時に未熟さを認めると、しぬとおもったからできなかった。一人で抱えるにはあまりにも重いものは一人にならないと向き合えなくて、向き合ってしまって見えたものは引き受けるしかなく、その成れの果てが今であり。これ、他者を物理的にケアすることがあったらもっと時間がかかっていたと思う。育児、介護、ペットの世話もそう。酷暑の中は家庭菜園も邪魔に思えたし、何かを慈しむ前にそのリソースが足りなかった、ケアをする側の息の詰まりが多く思えたからその選択をしなかった。そのわりにずいぶんたくさんの人に気にかけてもらってケアを受けて生きているので、返さなきゃな。恩知らずのキャリアの話としてnoteで成仏させようか。
よくTwitter(現X)の話題にあがるのは職場で趣味を開示すべきかどうか。今もまた流れているのを見た。趣味と両立しやすい職場も結局人によるし、開示して上手くやるのは自分次第なので、答えのない話だな、と思う。ちなみに私は開示したこともあるしいいこともあったけどそれはインターネットに書かないのだ、宝塚ファン+職場の話、インターネットに流れやすいものになりがちで、でも職場の人がそれを目にしたらそんないい気持ちにならなくない?と思っちゃって~~自分の親が終わってる話は書けても職場の話は書けないのであった。人による話について何らかの解を導くことは一定数バズりますね(←視点がインターネットすぎるだろ)
ただ人によらないこととしては、せめて天気の話くらいは出来るようにする、かな。暑い寒い雨でも広げられるので…難しかったらまずは元気よく挨拶をして敵じゃないことは示しておこう、趣味の話はそれからだよ。職場という環境をうまく利用していくとかの話は社内政治みがあり、インターネットで抽象化された解を読み解くには場数が必要なんだろうなあ。そして現場通いにしごできが多いのはなんなんだよ…
場数が解像度を助けてくれることは往々にしてあって珍しい話ではないけど、問題はその場数は誰にでもあるものではないこと。遠い人にはずっと遠いし近くなることが難しい。そして遠い人だけで集まって共通認識を確認しあってもそれだけなんだけど、その居心地の良さも多分大事なのかな、これ悪口っぽいな。コンフォートゾーンを脱出しろと言っている人に限ってそれが言える特権性に気づいてない、とかと近そう。いや~~~~~~難しいなあ、持たざる者としてのキャリア形成なりに持てる者の世界をちょっとだけ見てしまったからこそ分断が分かる。コンフォートゾーンを脱出できるのはコンフォートゾーンにいるものだけだ。って気づいてからは自分と外の世界のバランスをとるように試行錯誤している。
雑談とか仕事と趣味のバランスとりながらやる、もそうだな、できちゃってるとそれが当たり前になるからアドバイスは的外れになる。
会社員13年やっててもまだまだで、でも自分の持っている何かに助けられて切り抜けられている、は思うね。どこまでいっても壁があることしか分からなかったり、それすらわからないからこそ、自分に届いている言葉は何か、届かない言葉はなぜか、を少しだけ考えながら休み休みやれると、いいですね。
マシュマロ置いておきます、何か感想などいただけますと励みになりますのでよろしくお願いいたします。

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