5月が始まったぞ!まだ寒い、天気は安定しない。生活リズムが仕上がってしまったので暴飲暴食が減らせている、が、それ以外の無理は、あるねえ…
やっとわかったんだけど人間には向き不向きがあって、人はどうしても言い切り方の「これをやれ!」に惹かれるということ。認知負荷が低いからかなそれさえあれば上手くいきそうな気配とか。本当はそんなことないんだけどみんなに同じ正解があるように見える。までいってここでスピになるか自然派になるかの分岐が見えたり見えなかったりするわけですが、見えた人にはそれなりの経験というか実地訓練の形跡があるな。それを言語化、というかただ言語化しただけではだめで、伝わる形に組み直せると、強いんだな。なんでもそうです…そんなことを考えながら5月とそれ以降をどう過ごすか考えているが、いかんせん疲れている。ある一つの事柄について一つの種類の形式でしか言語化できてなかったらその分伝わる人は減るし、具体的にしすぎてもかえって減る。が、後者のほうがまだ得意な気がするな~どうかな~それができるのはこれまでの積み重ねからですが…
異様に詳らかな観劇感想は書いていて気持ちいいが万人受けとも思っていないんだけど自分だから書いてるなと思いながら書くのが好きで、息継ぎのない文章は頭の中のそれで。書けなくなるのが一番怖いからずっと書いてるなと思うよ、引っ掛かりや気づくことがないと書けないから、なぁ。って単に楽しかったとかリフレッシュした!だけじゃ済ませられない頭の中が少し気の毒、でも仕方ない、もともとそうなってるから…身を委ねるとか心の声とかじゃ済まないのって、結構高コストで、感じたことが段々自分の中に閉じてくる気配があって微妙だよな。仕方ないんだけど。
今ここのことを直ぐ書けなくてひっくり返っているわけですが、しばらくはひっくり返ったまま謎の行動をとり続けるのもいいんじゃないかと思っている。いまここのことを書かなくたってずっと頭の中はうるさいし、ずっと何かに気づいていて、でもどの形で発信するか、あるいは発信せず自分の中に留め置くかは自分で選んでいる。当たるかどうかの時流の読みとそれに乗っかるの、向いてないからな。残念ながら人は持てるものの中からしか何かできない、持っていないものはできない…とここまで書いて35歳nか月やっとそれに気づいたか、というところであります。そしてこの話も何度目だろうか。
持たざる者の地味な話と、持たざる者は何かに紛れて集団を観察していること。観察の目しか持てないからそうしている。紛れても紛れられないと客観視と諦念が板につくとか知りたくなかったなぁ。知りたくないけど書き続けることがそれを加速されていると思ってさらに諦める、仕方がないから。何かに紛れて、はなんでもいいけど、働けているあたりが一定の基準で紛れ度を上げてるように思いますね…傍から見てどうかはわからないけども。みんな紛れたくて何かになっていたいけれど現実そうもいかない。ずっと考えているけど答えの出ない話のいくつか。
この歳になると諦念は祈りになる、諦めることしかできないからせめてよくあってくれと思う。具体的なことを言うと、ある程度の年次になれば業務において言えない話が増えるので諦念と祈りとかの抽象に飛ばしている。ある程度の年次になれてよかった、言えないことはあったほうがいいため。言えることだけで出来ていない世界の行間を誰かと共有するにはある程度の言語化が必要で、言語化したものを届ける内輪が必要で。広いインターネットにこうした文章を流しながらも本当にこれを届けたいのは内輪、だなぁ、届くといいなあ。
これから暑くなりますか、でも身体が冷えぬように過ごす必要がある。冷えたときにあたたかいお茶が渡せるように、少し元気の出るものを食べさせられるように、余裕をちょっとだけ持っておきたい。自分のことだけに集中できる年次でもない、はそう、働き続けると周りが見えてしまってごまかせなくなって、その中で自分を保たせるために人はあがき続けるんだなぁ。現実だけでは生きていない、夢だけではもっと生きていけないのに、現実をやるために夢だったりあるいはもっと具体的な「やりたいこと」が必要で。時代は夢を潰しにかかり欲望を増幅させるが、欲望にのまれずに夢を持つには、どうしたらいいんだろうな。
夢を持つために暮らしをやり続ける、すぐに夢に手が届かなくたって。
しばらくとりとめもなく書き続けられるといいが。noteもやってるんだけどまだしっくりこないな、ここに書くのが自分のオリジナルな感じがあるね。
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