6.11の読み違え

cloudy sky お手紙
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合わないものを避ける嗅覚とスルースキルそしてそれらを面白がるのって力が要るよね。観察する側に回るのは外の目線を引き受けることと、ストーリーとナラティブにのまれないこと、最低限それらが導音になるって把握しておくこと。そして自分がのっかりやすいと理解しておくこと。そんなに賢くないよ、そんなにちゃんとしてないよ、それを前提にしておけばそんなに怖いことはない。

そこまで怖くなくなる代わりに何か失った気持ちが続くのはなんだろうな、Xの熱狂を捨てBlueskyもたまにアカウント止めて、それでもこうして発信を続けている。失った分は戻らないんだから書いたところで穴埋めにはならないんだけど、埋まらない、の認識のためかな。無視し続けられるものでないっていうか。

SNSにいない分こうして書く気持ちよさがあり、気持ちいい時点で何かよくないんだけど、ほら発信がそんな気持ちいいってのはさ~よくないんだよ…陰キャ逆張りの気持ちよさでもインプレッションで有名になる気持ちよさでもうっすらダメだと思っていて、だめじゃないのは、自分で裏どりした情報を発信すること、その次が自分が本心から書いている観劇ブログ。情報と本心がウリだなんて極端だけど、本心かそうじゃないかがこんなに分かりやすいから仕方ないだろ。向き合い続けた成れの果てがこれだけど怖いからよかったと思う、これが書けないほうがよかったと思う。そう、書けないほうが標準で、これができないほうがよくて…って思っちゃうことがあるな。

今抱えてる事案がそうなんだけど(実家関係ではない)、平気な顔で耐えるよりも面白がるほうに転がっちゃってよくないな、と当事者なのに思っちゃって、書ける弊害かもしれない、面白がっているのは。多い場数と多い言語化とそれなりの読書量は現実を耐える力になってしまう、+直近でメリー・ポピンズ通ってたとかこれまで観たミュージカルとかマジの血肉、これはよかった、役に立ってるから。役に立つだけが娯楽ではないが。というか役に立たなくていいんですが。書ける自分に助けられること、書ける自分が地獄に落とすこと、目立ったスキルじゃなくても何かが自分を助けるということ。それは欲しくて手に入れたものではなく要らないと思っていたこと、もっというと資本主義の中では評価されないと分かっていること。でも資本主義の基準もあいまいだからね、うちらと同じくらいに。

ひさびさにZOCと椎名林檎をYoutubeできいた、椎名林檎は高校時代の青春の中にあった、本当にど真ん中にいて欲しかったのはチャットモンチーかも。チャットモンチーは大学の時はまってたな。

このえっちゃんかわいいな、えっちゃんはずっといちばんかわいい。

生き抜くために必要なものが多すぎる、それはうかつな発信をしないための制限よりも多い。でもなれちゃえば平気、短い言葉で表現するより長文の中に紛れ込ませるほうがいい。自分がやりたい表現やれる表現がいい、お金になんてならなくてもいい、届けば。

お手紙
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