成熟することについて

photography of a woman sitting on the chair listening to music お手紙
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このブログのテーマを変えたいけど億劫なんだよな~と思ってて年内に見た目を変えられたらいいですね…

このところ人の成熟について考えることが多く、歳を重ねただけでは大人にならない、気づかないと大人にならない、があまりにも抜け落ちてしまう人となんとかやれてる人の差はなんだろう、と思う。生活が出来てて当たり前でその上に働けてて当たり前、とかはいいたくないけど、生活の視点労働の視点どっちも揃ってないと厳しくて、でも揃うと特権性の認識が今度は出てくる。仕事に全振りできなかったから生活してる、はあるし、生活をしてるほうが元気で少し悲しい、も思う。でもこれ以上身体を悪くできない、でも一人で暮らす以上何もかも自分の責任になり最後は金です。いや、福祉とか使える支援も抑えてはいるさ、それはね。その上でどうすんだって話をしているよ。人の尊厳の前に自分が尊厳ある存在、大切な命とか思えない、を強く感じるターンが来ていて、大切な命じゃないと生きてちゃダメなのかな、とかで段々溶けていく。溶けながら人の形に戻る方法を考える。戻るには何か意義のあること意義のあること…

あんま大きな声で言えないけどウィークネスフォビアから献血してんだな、と思った。自分は弱い者じゃなくて少なくとも献血できる状態で他人に自分が与える側である、みたいな。それで回数50回越えたしこれからも増やしていこう。実際毎年医療費10万円越えな時点で弱い側なんだろうけどね。弱いままでよぼよぼとか嫌いだから献血してるし、施せるほうが強いというなら寄付もし続けるよ。男社会の中で生きていくと内面化されたウィークネスフォビアがよく見えて嫌だな、そんなものを内面化してないでもっとフェミニズムとかおおらかさとかを身につけられていたらよかったのに、現実はもっと違うものへの羨望でできていた。おおらかにはなれない、足るを知れない、目指すべき方向がないと動けない。常に使えるリソースを洗って打つ手を考えるのは疲れたよ、諸方面そう。いちいち自分のこと大切な命だなんて思ってたら身が持たないよ。ってなるから、生存戦略として、踏ん張るために、ポリヴェーガル理論とかケアの技術があるって自分に説明するんだな。真正面から尊い命扱いされてもイライラするんだよ、慈しまれてる気がして。勝手に慈しみの湿度の高い眼差しを向けないで、どうか対等な人間として扱ってくれませんかね、が最近結構強いな、なんだろう。抱えてる事案の重さからかな。

支援措置かけてない人間が楽してるとは言わないのに、過酷さで勝とうとするとき「でもお前親まともじゃんw」で自分を下げて逃げ切りたくなるよね、実際はそれで逃げ切れるものなんてないのに。私はもういい大人ですよ、そんなこと言ってる場合じゃないよ、先日もまた一年生き延びてしまった。私の苦しみも分からないしあなたの苦しみも分からないし分からなくていい、ただ使える制度と自分の体力気力をリソースに生き延びていくだけ、だなぁ、事務手続きの繰り返しに感情を挟むのは疲れてしまった。些細なことに反応して脳に刺激を与えるより、日々を淡々と過ごせるように均して何事もなかったかのように。

観劇感想書かなきゃって思うと手が止まるけど書ける日に書けることを、と思うとこうなるな。noteはやっぱ書く気になれなくて独自ドメインが一番だと思ってしまう。有料noteをやろうかと思ったけどcodocのプラグインのほうが良さそう。note見てて虚無るから疲れてんね。わざわざ虚無ってるってことは。

マシュマロを置いておきます。投げていただけると大変嬉しいです。よろしくお願いいたします。

お手紙
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