冷え込むとずっとダメになってしまってぐらぐらなので自分繋ぎ止め用も兼ねて。自転車で駅まで行ったのに徒歩で帰ってきたことに今気づいたよ。この投稿に特に情報はないです(今の気持ちはある)
Xのおすすめ欄とレスバする前にインターネットやめたほうがいいし、レスバで脳に刺激を与えて脳のマッサージをするのもよくないし、とか思う。何も言及しない、関心を持たない、情報は受け取るが感情を受け取らない、でやっと暮らせる。人間の営みから遠くなっていく。仲良くしたいのに受け取れない。
今の自分のコンディションだと発信は出来てもSNSで人の話を聞くのが相当慎重になってしまう。でも発信しっぱなしは交流じゃ無くない?不義理では?と思う。もし聞いてほしい話があったらリプライかDMかマシュマロに投げてください…というのもまた構ってほしさが伺えて何やらせてもあかんやないかーい。でも閉じこもって本当に消えてしまうよりはいいのでは?という見解がある。こんなことを書いて構ってほしいだけとか実際は元気じゃんとかそれはそう、いやでも家族いないし?とか思っちゃうから、良くないな。この酷暑の中一番頑張ったのが通勤、二番目が住民票閲覧制限の更新、つまり大体の人が頑張らなくていいことを頑張っていたと気づいてまた折れそうです。定量的な成果が出せないことをやり続けたって、それは何にも頑張れてないってことじゃん。
そんなわけでね、こんな気落ちのいちばんの特効薬ができたてのスープ、二番目が作り置きのスープとなっており、ちょっとだけ台所に立つ頻度が上がるかも。
人参に含まれるベータカロチンは油と一緒に摂取すると吸収効率が上がるため、オリーブオイルの入ったこのスープは良い。作っておいて朝小さいお椀で食べるととても幸せだったので、これからも作り続けたい。キャベツ以外も食べることになるしね。オリーブオイル、にんにく、コンソメ、にんじんだけのシンプルなスープです。
これは見た目がおしゃれだしにんにくが入っていると温まる。
リュウジ スープ <任意の食材> で検索するだけでも結構楽しい。フンドーキンの柚子胡椒がいいってリュウジが言ってたし、調味料をいいのに変えていって家のごはんを楽しんでいこうかな。そう、食事には、楽しみ要素もある。
自分でコントロール出来ないことは多いから、せめてコントロールできる領域はこだわっていきたい。長期的に勝って行きたい、とか思うよ、目先の利益に疲れた。今ここの自分のしんどさを解消できるのって食事と睡眠しかないし…つまるところ期待できるものが減っていってるんだな。でも何かしら期待してチケット取ったり先の予定入れてる。
アドレナリンが出ることを原動力にすること、が忌避されがちだけど、じゃあご自愛ご自愛で小さく暮らして脳を鈍らせて鈍感に…で考えることを減らすのが”正しい”って誰かにとって都合がいいな、と思う。だからご自愛概念嫌いなんだろうな。労りの意味を込めてご自愛と言ってもらえるのに、自分はその労りを受け取れなくて苦しいけど。ご自愛、ご自愛、お前なんかがそんなこと考えなくていいよ、難しいことを考えても無駄だよ、の込められた言葉になってしまっては、よくないな。
戦線離脱ではなくて勝つための休息であり、その意味のご自愛、なら受け取るよ、と思う時もある。
ウィークネスフォビア由来でご自愛、が嫌いもありそう、励まされないといけないくらい自分は今状態が悪いのか、とか。タイミングが良くないと慰めも上手く届かないのは本当に良くないね…
暮らしの手帖を買ったら、虎に翼の対談があった。家にテレビがない、自分が人と同じような感想を出力できるか分からない、で基本的にドラマを見ないようにしながらこれまで過ごしてきた。朝ドラも大河ドラマも実家にいた時は流れてたけど、なんとなく苦手なままだったな。「同じ感想を出力しなければならない」とテレビに対して思ってしまうのはどこかで治るのだろうか。テレビに張り付く暇があるならこの鬱状態を一秒でも早く治したい、と考える時が多い。もうちょっとメディアに期待してもいいんじゃないか。確かにドラマを見ても今ここの自分は救われないけど、物語に期待してもいいんじゃないか。観劇では救われてるのに?
(ということで何かしらは見たいんですよ…でも、「人と同じ感想を出力してみたい」が動機だからあんまりよくない)
自分の負けパターンの解像度は年々上がるしある程度対策も打てるけど、どうか自分には前を向いてほしい。自己憐憫ではなくフラットな感じで生きていってほしい、大切だと思えなくても粗末に扱わないでほしい。かけがえのない大切なものだから大事にする、と定義づけると、じゃあ大切じゃないんで粗末にしますね、になっちゃうから、加害しないところから…誰かのかけがえのない宝物じゃなくても生きてていいし尊重されるべきです、ここだけは、言い切りたい。
コメント