自分を再構築する覚書/8月の終わり、9月に向けて

orange mason jar in body of water お手紙
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よりよく明日を迎えたいための自分宛のお手紙。

走り出したら止まらない/止まれない、の私を止めてくれたのは…花組の公演中止だったな、と思う月でした。ままならぬことはたくさんあるけど、そのひとつが公演中止で、受け入れざるを得ないのはとても厳しいことだ。コロナ禍である以上は仕方ないというのはぼんやり受容できた。でもずっとお腹壊してたからショック大きかったんだろうな。

花組公演に限らず、どこかで「公演中止」を目にするたびに結構ダメージを受けていたので、劇場で上演されていることが心の支えなのだと自分に言い聞かせ、ちょっと気を紛らわせたり、別のことをしたり、が選択肢に入るようになって、良かったです。

第一段階、自分はショックを受けていると自覚すること
第二段階、ショックの原因を把握すること
第三段階、ショックに伴う心身の動きをどこかに記録しておくこと(Twitter見返して後から分かったりもするし、あるいはスマホのメモとかに置いておくのもいい)
第四段階、ショックから気を逸らすようなアクションをとること。アクションと書くと大げさだけど、家で出来ることならとりあえず踊ってみるとか、お茶をいれて飲むとか、いい入浴剤使うとか…
かなあ、気を逸らす方法。

過去の自分がこれが出来てたら今もっとよかったのになあとは正直思うし、なんてへたくそな生き方しかできないんだろうとか、過去の自分の状態を思い返すと絶対こいつ助けたくないなくらいの気持ちがある(過去の状態は鍵かけたほうのはてなに残してある)。でもその過去を乗り越えたっていうか、上手いこと扱って今があるので、やはり自分を無碍にしてはなるまいて…すごく痛々しくて大変でずっと助けを求めていたことそれ自体は悪くないので(そうした人間にどう触れるかは、相手が決めることだから)

実家出るのもっと早かったらよかったなとかの詮無い話はたくさんあるけど、自分で自分を育て直せる環境にいまあること、そのほか恵まれている諸々があるので、まぁいっか、という気持ちです。

どこかで荷が下りてその荷物を客観視するときが来るならばそれは今で、長いこと抱えていたけれど別に大事じゃなかったね、とか、あるいはちっぽけでも特別だったね、とか、今渦中にあることもそのように思えたらいいな。一年後、二年後、あるいは五年後、あるいは十年後、もっと長いスパンで捉えて、長期的に幸せであればいいか。
実家とのあれこれも長期戦だったり、ずっとやらなくてもよかったりもする。ただ…住民票閲覧制限まで、かけたくなかったなぁ。なんとかやる糸口はなかったのかな、とたまに思う。

今の自分には今しかないわけですから、やっていきましょう。

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