諦念から始まる

architectural photography of roofings お手紙
Photo by Scott Webb on Pexels.com

短文発信も控えてSNSよりも長文で、を心掛けるとまーじで何も言わなくなるなあ!
10月は末頃に大きめの風邪ひいて今そこからゆるゆる回復中です。ちゃんと自分で医者に行ける、消化を優先した食事を組める、睡眠がとれる、に自分の成長を感じておりますね。
冷え込んでくると自律神経のバランスが暑い時と変わるし、消化もゆっくりになる気がするから、消化のいいものを食べるのがいいし、油を控えるといいし、油と塩とかを控えたごちそうを探すと大体素材の良さが頼りになって値が張るかなどうかな~鍋とかは見切り品の野菜でも美味いよね。あんま物価の話したくないけど。今年も医療費とっくに10万越えてるしなんかもう他の人の話聞いても役立つとかでもないし、で見ない情報が増える。あ、この動き、こういう学級会が開かれるね、の読みが当たりすぎて無理(自分が)
あんま人に期待してないというかSNS離れを進めるとそうなりすぎるというか、その辺をうまく調整したい。閉じすぎている、ずっと言ってるけどね。

10月はヤーレンズ単独入ってOnce観てマタハリ観て絶好調に充実し、ぶどうもたくさん食べたし、私は思いのほか元気。シール帳つくりたいな~とかハンドメイド?欲も出ててわりといい感じ。家で一人で出来る楽しみが、Youtubeで芸人の動画を見る以外も出てきて、良かったです。
自分はちゃんとした人間じゃないのにちゃんとしたとこだけ切り抜かれたくねえなと思いつつ、そう思って行動し続けて発信し続けても何か残るものがあればそれはもう仕方ないかな、と思ったり。元気だよ、とか気にかけてるよ、を伝えるだけのことがずっと難しいけどそれは今の時代に限った話じゃなくない?何が正解か分からないのもずっとそう、ああはなりなくない、の裏返しが自分にもその要素があるとか見たくないから想像でそう言ってるだけ、もそう。新規性はない。
他人は変えられなくて変えられるのは自分だけ、はすごくそう。だったら変えていきましょう、使えるものはたくさん時代、変わったもの勝ちです。
って思うと期待値が低くなってゴールに誘導するようになって、あんまり驚くことないんだよな、嫌だね。起伏が無くなることをつまらないと感じてしまう、激しい気落ちも今はないのにな。ドラマチックさの中に人生はなくて日常の中に人生はある。そう思えるようになってからのほうが舞台での感動や気づくこと、音楽をやっていて検知できることや表現したい気持ちが増えたように思う。切り捨てるものも増えた、無駄な期待が減って自分に集中するようになった。自分への期待も前は過剰だったけど今はほどほどに調整できているかな、どうだろうか。

今はない、で言うと高校生の時につけてたブログ、大学入ってからのmixi、実家出る前後のはてブロ、どれもずっとSOSを外向けに上げてたけど今はそれをしなくていいんだな、を思った。
逃げるための言葉じゃなくて今を生きている自分の言葉を書けるのは嬉しいもんだな。
毎年冬になると怖い気持ちになってたけど別にそんな怖れなくてもいいっぽいな。気づけて、良かった。実際はトラウマ治療とかでもうちょいどうにかしなきゃなんだろうけど、現時点はこれでよさそうです。何も達成してなくても嬉しくなっていい、とか、自分の言葉は誰かに届いている、とか、そんなことを思っている。

唐突に金の話をするんですけど、会社都合で年収減ってから今年それよりだいぶ回復して、でやっぱ金はあったほうがいいっていう身も蓋もない話になり、執念で今の生き方とか生活してるけどそれって特権的でネオリベ内面化してるのはそうで、正社員続けられてるのも特権的で、そうなると困窮してないだろもそうで、隠して私の話は表舞台から消えゆく。こんなわかりにくいシアターゴアー、宝塚ファンの話誰が聞きたいのかね、の気が引ける感じね。パターナリスティックなお説教が届く範囲にいたら分かりやすかったけど別にそのために人間やってないし、生きてないし、今の生活してないし。いいじゃん生きてんだから、で話を終わらせたい気持ちになりがち。わかられにくい人の話も一定数需要あるでしょ。

2月に炎上してたけど(その時はXを今より見ていたから炎上を知っていたのだ)相変わらずリュウジ見てて、見てる理由「生活のための料理」が出てくるからだな。生活感の無さあるいは自分と違う生活をしているから、で見れない料理もまあまああって、リュウジは生活をしているし食べているから良い、がある。自分で食べてるところ見せてくれるのはいいよ。
正しさを求めるならリュウジなんて触れないほうがいいだろうけど、ベターホームや今日の料理で手が動かなくてリュウジなら食べられる場合どうする?って話で…正しさで食える(直喩)ならそのほうがいいですよ。
そういうことは多い、正しい推し活、容量用法を守って、推しは老後の面倒見てくれない、だからなに?みたいな。私がリュウジ見続けて作り続けてるのもそれの延長だと思ってるけど…正しさで生きていけたらどれだけよかったか。この話は結構繰り返してるね、自分の発信のコアかも。

極端に触れたり何かを正解としたくなるのは簡単で、都度考えるのは体力が必要で。体力がついてしまったものは考えなければなりません。相対化、抽象化を繰り返すのはしんどいですがやっていきましょう。ちゃんと自分を頼りにできるように。

他の人と同じを諦めたときそれ以外の選択肢が出てくるってもんだよな、これ屋根ヴァ観て以来ずっと考えてる。

マシュマロを置いています。他に何かいいツールないかなあ。

お手紙
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