ほぼ梅雨!あんまり調子がよくないです。いやそれはいつものことか。
調子がよくないついでのエピソードとして、夜道を歩いていたら人間に声をかけられたので大声を上げてしまい謝り倒して(※大声のリアクションについての謝罪)速足で退散するなどのイベントが発生しました。夜道で話しかけられる場合だいたいろくなことがないのですが、住宅街に響くほどの大声で叫ぶ必要もなかったのではないか、どうか。
あと、大雨の中長靴と防水バッグ(耐水性にすぐれたかばん)で移動する日が続き、こちらはあんまりよくない。ワークマンの長靴と防水バッグは思ったより手ごろな値段で買えていいけれど、そもそも大雨の中は気が滅入るのと普段より疲れるね。この前は乗換駅で転んでしりもちをついてしまった。わりと恥ずかしい。でも雨の日の電車は結構好き。
調子悪いからインターネット控えたほうがいいみたいなことを言い続けて半年以上が経ち、その間に生活リズムが変わり、食生活が変わり、変わったことばかりで、そして思うようにいかない。人生ですね。生活リズムと食べるもの固定すると安定してくるけどそれだけで、安定をもっと好ましく思うべきなのだろうけど、安定でしかなくない?みたいな…贅沢な話です。実家での共同生活において自分の裁量が少ない暮らしをしていた時は、他の人に合わせて食事と入浴をするとかでペース作ってたことにやっと気づいた。だからって同居人のいる暮らしをしたいわけではないが…食事も入浴もあんまりいい思い出がないのが忘れられない、って言ったら重いか。忘れるってそんなに簡単ではない。
最近は帰宅してすぐにシャワー浴びてから家事やちょっとした仕事にとりかかっているけれど、実家だと入浴の順番が一番最後で固定されていたのと湯船で寝てしまうことが多くて色々大変だった。
湯船で寝るのって睡眠時間にカウントしていいのかな。こういうことに気づくたびに、自分で自分に「大変だったね」程度の言葉をかけて、最適解の行動に切り替えていく。
コツは感情移入しすぎないこと、感情を発露する場はカウンセリングであり家の中でやると家に居づらくなるので…自分相手でも友達相手でもあんまりよくないことはあり、お金払って公認心理師か臨床心理士のいるカウンセリング、がいい時がある。
傾聴ボランティアや傾聴が含まれる医療(訪問看護など)とカウンセリングの違いはジェンダー観と社会構造の話などで殴り合いができるところかな、その話が出来ないと根本解決の糸口が見えないしな。
感情をヨシヨシ撫でてもらうためのカウンセリングではない、の話をどっかでまとめて書きたい。
それで、最近はキンキーブーツやデスホリの上演発表がありさすがにめちゃくちゃ元気になって、今月の良くない気持ちが全部晴れる感じがした。定期的に、忘れたころを見計らって自分が元気になる発表があってほしい。
いろいろとままならない暮らしではあるけれど、先の光は約束された上演でありチケットであり。面白くないご自愛の暮らし、通院と役所に行くことの多い暮らしを続けながら必死でルーティン作らないと走り続けることが出来なくなる危うさはたぶんわかられなくていいです。一人で上手く暮らす苦労はあるけれど、支援や介助のための同居人が必要かって言われるとそれはさ…ってなるやつ、まあこれって立場が変われば「内助の功」と呼ばれるものの発生と捉えられるのだろうけど。
いいな、私も内助の功(家事全般を切り盛りし外貨を稼いできてくれる)欲しいな、外で働いてくるので。疲れてるね。
あと楽器があると元気ですね。音楽が分かるというのは、仕事にも暮らしにも役立たないかもしれませんが、少しでも分かるという事実だけでも自分を元気にしてくれます。
一定量の知識が必要な気晴らしが自分を助けてくれるとか、気軽じゃないほうがいいとか、面倒なキーワードが頭の中を走りだしたので多分これを書いててちょっと元気になってる。外向けの文章を書くことがコーピングになるのかな。
自炊用のキッチンツールの紹介を兼ねたアフェリエイトブログを書くと、Amazonのセールの時期的によさそうなのでぼちぼち準備しつつ…はい頑張っていこう、そして温暖化のせいで人間の感情も乱されてるので脱炭素は進めていかないといけない。
劇場にはいる、楽器と音楽をやる、外で働いている、なんとか暮らしている。自分が取り組んでいるあれこれを丁寧な暮らしとかご自愛とか安定とかの言葉で片付けられると解像度が落ちた感じがありちょっとしんどいことがある。虚無が近い暮らしの中で自分を支えてくれるのは観劇と音楽と動物園と、な感じがあるね。
マシュマロおいておきます、なにかあれば。
コメント