9年目を終えて

お手紙

2013年4月~の社会生活も、本日をもって満9年となりました。
いよいよ10年目…ということと、まずは続いている自分にお疲れさまとありがとうを。

結構いろいろあったこれまでで、メンタル不調も怪我もあったし、キャリア形成という意味ではしょぼいかもしれない。それでも、自分なりに考えてやり通せたことを認めて、褒めることが出来たのが、今日。

今いる現場の、今いる部署じゃないプロパーの方で、うちの部署のプロパーの同期の方が退職すると聞き(つまり他部署でうちのプロパー同期の方)、結構仲良くしてもらってたのでこちらからお餞別を用意しておりまして。仕事で接点なかったけど、よくうちの部署に遊びに来てたので会話したりおやつ渡すくらいはしてたから、最後くらい何かさせてもらってもよかろうと思って。

そしたら思いがけず私向けのお餞別として、名入りの品を頂き…
特に大したことはしてなくて、元気かなとか、無理してないか、これでも食べて…とうまい棒レベルのおやつをあげてたくらいなんですが、その方にとって何らか役に立ててたのかな、と思った話。

かっこよくはなく泥臭く生きてきて、結局のところ自己管理と心穏やかに、さりとて情報収集を怠らず、使えるものは使って、6割の点数でも生きてたほうがいいかもと思えた日。そんな日と、名入りの贈り物。
ものを貰うことが全てではないけれど、自分がやってきたこととか、あり方がこれでよかったのだと自分で認めることが出来た日の、特別なものとなりました。

思ってた30代よりもずっとリアルな手ごたえの毎日と、こうして地道に日々を重ねられたら、何かいいことがあるかも、どうかな、あるよ。
年代で区切ってのこうあるべき、も一理あるし、でも自分は自分の人生しかできないし、自分の思う道だけではままならないときもある。自分のための折り合いと、それでも咲いていくこと、どっちもやりたいな。

今ここにある穏やかさとか、有難いと感じたこと、そうしたことを大事にしたいし、そうしたことがあるのがまた嬉しい。ふわっとしてるけどそんな感じ。

思わぬタイミングでギアが入り走っていくほうだから、せめてブレーキを踏めるように、あるいは止まる指示で止まれるように、不器用なりにやっていこう。

さよなら9年目、そしてようこそ10年目。これまでもこれからも、ここにある自分を受け容れたり、見つめたりの繰り返し。

ありがとう、おつかれさま、がんばりましょう、これからもよろしくね。自分向かいのあたたかい柔らかい言葉。10年目は、それらを一つでも多くできたらいいな。

ここまで読んでくださったあなたに、いいことがありますように。3月末日の春のあたたかさの中で願うこと。

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