真面目に会社員、そこそこに越冬

お手紙

なんと!真面目に会社員をやっています。

一つの会社に4年いると様子もよくわかり、大コケしながらもなんとか仲間に恵まれ、なんとかなんとか…というかんじです。毎年の大きな鬱の波がまだ来ていないのでこのまま逃げ切りたいなあ。

様々な手口を用いてうまくやったり延命したりしているものの、自分の手口を開示する塩梅があんまり分からないな。食べてるご飯は手口じゃないから開示できるな。ダイソーのスケジュール帳に書きなぐりながら毎日やることを掘り返してはなんとか仕事し続けている感じです。(※ダイソーだとその辺で買えるし書きなぐっても罪悪感が少ない、モレスキンだとこうはいかないときもある)

この一年間で捨てたのは実は自己研鑽、資格取得の類で、前からそんなにやってなかったことを捨てて睡眠と食事に振っています。社内の人間関係うまくやれ、はあんまり頑張らなくてもできるようになっちゃって…
スキルに全振りして人間関係は逃げて隅のほうで黙ってるのが正解みたいに思ってる時もあったけど、やってることが全然逆で笑ってしまった。まあこの辺りはこれくらいで…そろそろ勉強します。ほんとほんと。

どうしようかな、自分の話がしたい、自分の話を聞いてもらいたい、結構特殊な処世術だけどこの一年は大きく崩れることも減り結構元気だった。本来の自分はこっちなのかなあ、元気で明るくて思想が強い。自分の思想と働く環境のギャップと折り合いとか、も思った、組織の中で出来ること、見えてる世界の違い、それでも対話を諦めない…っていうかそれ以前のお喋りタイムがあるといいよねぇとか。ずっとそんな感じ。

実家出てからの5年間なんだったんだろう、自分が明るいと思っていたのは絵に描いた背景でずっとあなぐらにいたのかもしれない。ゾウは草原にいたほうがいい。今いるところが草原だと思いたい。のびのび暮らし、他の生き物と交流をし、たまに人の言葉を話す。会社の基準を意識しすぎて、男社会の成功に乗れなかったとか、男社会という解像度が低い言葉を使わざるを得ないくらい自分の見る目ももう限界だったとか、それ故にミソジニーが分かってしまうとか、そんな自分と対話を続けるとか。多分自分は体力とかそのほかの漠然とした力もあるんだけど、何かに合わせようとするとそれが押し込められるな。自分の良さを展開すべきだというのに。とかを、ビリー・エリオットを観て確信してしまった。そうした気付きのために観劇している。

何かの方法も上手くやれることも、そもそも自分の中にそれがないから書けないね。何が書けるのか、何を書いているのか…観劇を通して社会を見つめるだとか、なんとか生き延びたいとか、住民票閲覧制限にかかる支援措置とかか。支援措置だけだとコンテンツとして弱い気もするし、毒親の話も飽和しているし(そもそもカウンセリングで話したほうが良い、むやみに反応があるとどう転ぶか分からないから)、自分が書きたい時に書けることを、になるなぁ。
男性比率7割以上の組織の中にいる人が書いた文章、でもあるし、シアターゴアーが書いた文章、でもある。属性じゃなくて自分を見てほしいという気持ちがある。情報じゃなくて自分、かもしれない。

手口すぎることを繰り返しながら会社員をやっていく、会社員をやるだけじゃままらなないから会社の外に目を向ける。劇場の中と外が地続きであるのと同じく、会社の中と外も地続き。会社の外にいる自分が、会社員の自分を観察している時がある。元気そうだったらいいし、様子がおかしい時は会社の外の自分も心配している。

会社員の自分、会社の外にいる自分どちらもお腹が空くから、冬もご飯を食べて元気でいたい。リュウジレシピには引き続きお世話になる。

よかったらマシュマロでもwaveでもいただけるとうれしいです。

お手紙
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