自己決定権、フェミニズムの話、だなぁと思ったけどセックスワーカーの権利という視点がどこまで通じるのか。なんて観た後考えつつわかい客席に圧倒されつつの鑑賞でした。ジェリー・ミッチェルの関わる作品が好きなのでなんとか観れたらいいなぁと思っていたらチケットとのご縁がありかなり嬉しかったです。

三階席後方のある意味定位置から観ました。オリックス劇場は椅子が硬くて狭いね。立地は好きなんだけどなぁ、ままならないものだ。

めいめい・石田ニコルさん・福井さんの組み合わせで観ました。
あらすじ
企業買収ビジネスで成功を収める実業家エドワードは、仕事で滞在していたロサンゼルスで、ハリウッド大通りに立つ自由奔放な女性ヴィヴィアンと偶然出会う。
日々の生活に追われながらも、自分の力で道を切り開いてきた彼女は、見る者の心を捕らえる存在感と、自然と引き寄せられるような魅力を備えていた。そんなヴィヴィアンに、軽妙なかけあいで心のガードを外されてしまうエドワード。
一夜限りの関係と思われたが、共に過ごすうちにエドワードは彼女の飾らない無邪気さや、時折見せる芯のある姿に心を奪われていく。
そして翌朝、社交行事や取引先との会食を控えていたエドワードは、彼女に「期間限定のパートナー」として共に過ごすことを提案する。
「取引」として始まったはずの関係は、やがて互いの心を溶かし合い、二人の物語を動かしていく…。
というわけで映画と同じです。2026年に上演する今更、で懸念されそうなのがジェンダー観かなと思ったけど、舞台に上がっているからかジェリー・ミッチェルの手にかかったからか、どうして、気にならなかったな。
インティマシーコーディネーターに浅田智穂さん入ってるな~と思ったら、これから性交渉をしますよというシーンがあり、じゃあ必要だなあと…ヴィヴィアンはセックスワーカーだしね。ぼかしてない、誰の目から見てもそうですねというシーンだったので曖昧にするほうが表現がぼけるのかもしれないし、そうしたシーンの調整をする役目の人がいるなら、もひとつ安心して観れたポイントかも。浅田智穂のプロフィールやインティマシーコーディネーターの役目については、浅田智穂さんの公式HPをご確認いただきたい。表現の自由のためにも必要な役割の仕事と思います。
感想など!
とにもかくにも自己決定権!、なんだけど、それはどんな立場の人にでもあるものだ、は日常で伝わりづらく、舞台の上にあってやっと、かなぁ。が鑑賞後一番に自分から出てきたこと。ヴィヴィアンにあり、キット・デ・ルカにある権利は言わずもがな観客の我々にもあり、それを土台としてのハッピーがあるのではないかしら。もっというと人権はみんなにある!って思ったけどそれだとややピンとが外れてしまうかな。ヴィヴィアンとエドワードそれぞれがお互いを人間として見ること、互いに願いを叶えること(あるいは、願いだと認識していないことを認識させる導線を引くこと)がこの話の肝の部分だと思っていて、前述の性交渉云々はメインじゃないからこそ違和感のあるものや役者が安全に表現できるものでないとなー、と思った。願いを叶える構造自体はよくあるんだけどね。ヘテロセクシャルの性愛主体の物語に食傷気味であるという意見もあれば、じゃあ人間が男女で支えあう話はダメか?というのがなんとなく出てきた気づき。マジョリティ性とかはなーそうなんだけど有してるのが悪いわけじゃないんだよなーとかとか。王道とされるものはマジョリティ性が強い、も思ったが。
私がミュージカルを観るときに鑑賞の型になってしまっているのが「ロールを降りる」という視点ですが、自分に貼られたラベル/自分が自分をどう扱ってきたか、の枠から出て人が変わっていくのが大好きなので(なぜなら常に自分もそうありたいからだよ!)、契約の枠を超えてヴィヴィアンが自己主張できるようになっていくのがほんとうに~!よかった~!ヴィヴィアンの好きなところはお金のかからない遊び、芝生で本読んだりを提案するところで、つまるところそれは資本主義じゃないことをやらないか、ということで、セックスワーカーは金銭と性交渉がセットだけどそれは仕事だからであり仕事じゃないことでお金ばっかかけてても仕方ない、は本当にそう。エドワードは実業家ということもあり資本主義寄りではあるんだけど、ヴィヴィアンと出会って資本主義、お金以外のことに目を向けられるようになるのがいいですね。ベタな流れではある、お金以外に目を向けてビジネスを成功させるということは。しかし長期投資では必要な視点であり、ビジネスの意思決定の感覚はお金のことだけじゃ成り立たないな。金が大事だからこそ金以外に目を向けないと、足元をすくわれる。すくわれた側がスタッキー、だなぁ。スタッキーはヴィヴィアンのことを一人の人間ではなく売春婦としてしか見てない感じ厳しいと思ってたら普通にオチがよくなくてよかったです。寺西さん初めて観たけど嫌な奴が上手いね。
ハッピーマンはいい役ですね、皆の人生に現れる転機の擬人化みたいな。「君の夢は何?」定期的に問われてえなあ…みんなが夢を持っていいし叶えていいし実は夢があるし。でもストレートに問えないよね、なんとなく気恥ずかしくなって。キット・デ・ルカが夢を語れるようになり、ヴィヴィアンが本当の望みに気づき。そしてそれがエドワードに伝わるのが本当によかったよな…人間の考えていることはいつもそこまで難しくないのに、人間は難しく考えるのが得意になってしまっており、もったいないことです。
個人的には、資本主義批判、マジョリティ性批判はそうなんだけど、じゃあどうする?がここ最近ずっとのテーマで、直球のこういう話は真ん中に刺さったなぁ。ジェリー・ミッチェルの伝えたいものはなんだろうな、と考えるけども別にそんな深く考えなくてよくて、ただただ、愛なので。商業演劇が出来ることをやっているし、チケット代が高い表現はあかんのかな、とぼんやり思う。
観た3月8日は国際女性デーで、女性の権利や自己決定権について改めて考える機会でもあった。セックスワーカーの自己決定権について…は考えすぎの域かもしれないけれど、それでも、同じように考える人がいたら、嬉しい。
カーテンコールでは石田ニコルさんだったかな、アメリカとイランとの戦争に言及があった。(記憶ベースで申し訳なし…)ミュージカルのカーテンコールで言うことじゃないって思う人もいるだろうけど、そして世界中が愛とやさしさで包まれますようにとかのミュージカルでありがちな記念も絵空事という人はいるだろうけど、劇場でくらい絵空事が当然のようにあってしかるべきで、そして当然のものとしてそれを我々はどこか心の片隅に置いておくもんじゃないのかい、と思うよ。嘘みたいな嬉しい気持ちに水を差すのはいつだって自分の認知であり諦めであり、とか。チケット代安くないんだからちゃんとおれたちも絵空事をやろうぜ、それで元を取ろうぜ、などなど。
あり得ない話だからこそ伝わるものがあり、映画公開当初よりうんとジェンダーetc厳しい目で見る時代だからこそ物語が必要で、認知の向け先を変えるために劇場での鑑賞って必要なのかも。夢を見るというのは視点を変えるということで、単純に言うと、下ばっかり見てると見えるのは足元と地面で、でも前を見ると?みたいなこと。人は何のために劇場に行くのか、を言語化(冷笑)してしまってあんまよくないなと思いつつ、幾たびもこうして感想を書いてきてそれが明確になるとやはり嬉しい、私は私の書いたものを土台に次を観てるしね。ベタな作品ではあるが、ベタって言えるほどいろんなものが世に出たんだなと思いますよ。
そのほかキャストのことなど
吉元美里衣さんがゴージャスビューティーでうれし!えー美女おる~♡となった。
石井千賀さん好きなんですよ~椿姫聴けてうれしいよう
シュート・チェンさんはやはり大注目してしまうな~いいお役でした。レッドブック以降は海外での舞台に挑戦されるそうで、日本で舞台姿また観れるのは当面ないのかな…なんて思った(を、レッドブックの感想文でも書くだろうね)
世界はずっと物語を必要としているが、それが愛とやさしさと平和じゃなくて(セロトニン的なものじゃなくて)、ドパガキの言葉があるように刺激的な退屈しのぎに流れている今、だからこそ、「君の夢は何?」と先ず自分自身に問いかけてみることって、とても意味のあることなんじゃないかな。あの日カーテンコールでの「What’s your dream!」って皆で叫んだあの瞬間は決して忘れないし、忘れられないし、特別だし。そしてみんなが互いを人間として見ることが出来て、役割以外のこと、本当にしたいことに近づいていけたら、世の中もっとよくなると思うよ。
結局私は人間を信じたいんだなあと今更の感想文を書いて思ったのでした。観てよかった!
マシュマロを置いておきますので、よかったら話しかけてくださいませ。


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