魚が煮えるまでの間

beautiful tropical fish swimming in clear water お手紙
Photo by Jay Moon on Pexels.com

自分がそうなったのは何のせいか考えたほうがいいよ。

昨日見切り品で半額になっていた魚を煮つけにしている間に書く。ポリ手袋で魚や肉を掴めば手が汚れないということに気づいてから、魚への抵抗がいくらか薄れた。自分で調理して食べるのはずっと美味くて助かる。

推し活という言葉の範囲が広がりすぎて何を指すのか分からないけど、自分を推しにするってどうなんだろうか。医療費も推し活費になるのかな、MRIも推し活だと思って耐えるのかなとか。多分そういう話はしてなさそうだけど。耐えの話ではなさそう。視点を変えるためのアイデアがあまり効かないもは見方を変えるのがずっと下手の話。

引き寄せとかプリンセスレッスンとか手を変え品を変え女性向け自己啓発で言われていることは変わらないんだけど、自分自身のままで、自分に必要なことを自分に施す、自分を沈ませない、って難しいんだろうな。外からの影響があまりにも大きいから、いったん別の構造に変換して必要なものを配置して、想像上の自分は現実の自分でした…!みたいな処理をして。プリンセスじゃなくても堂々としてていいんですよ私たち、〇〇のマインドとかで強いものじゃなくてもナメられる筋合いはないし。でも自分自身のままだと貧相だったりするから他のものに置き換えるのかな。

恥を晒す話で恐縮だが、実家から逃げて20㎏の増量があり、減量できておらずそれをかなり恥じている。書く必要もないが書かないと立派な者に見られる可能性があるため書いている。立派じゃないけど生活しないといけないしやりたいことがあるから働き続けたりへたくそな暮らしを続けており、立派じゃないけど食べたいものや観たいものがあり学びたいことがある…のでその破片をブログに書いている。意識しないと卑屈だし、でも偉そうに振舞うのも違うし、バランスはずっと難しい。難しいままの話は読むのに認知負荷が高いのかな、でも立派じゃないことに正直じゃないと逃避のために大きな自分を作ってしまう、作ったことがある、外向けには意識的にしょぼいほうが無用なトラブルは避けられる。でもそれを続けると卑屈な目になってしまう、難しい。でも私は推しでもプリンセスでもない。

みっともない自分のまま書くことは心がけており、立派に見えるならそれはそれで何か刺さるものがあったんかな有難いねの気持ちがあり、生育環境の割には仕上がってる気もするし、でもこの生育環境の割に、がずっとつくのかな、それはさ、という。つかないようにするには自分の思うある程度の成功したものに寄せていくとかなのかな、わからない、でも薄っすらわかるのはずっとそれがついてくるということ。最初に与えられなかったものは今後もずっとない、で諦めているが、諦めたものは、自分が一番諦めたくなかったものなのかも。わかんないですね。

成れないものに成り続けて得たものは要らないもので、自分のままで得ようともせず続けていたことの先に得るものがあり、下心センサー?って思うけど単に自己分析の不足かも、欲しいものを分析できてなかったのかも。自分が欲しいものは何か、なぜ手が届かないと思うのか、コーチングみたいな話は向き合うにはしんどい、コーチングは高い。コーチングを通さずにそこそこのところで落ち着くにはプリンセスに自分を変換するのか。でもプリンセスレッスンもお金とってるしな…自分だけでやるには、構造的にあまりにも外から自信を削がれることが多いからお金を払って…はそうなんだけどそのお金は新鮮な野菜を食べたり習い事に使いたいなぁ。構造に目を向けさせないために閉じ込める何か、は時代と共に変わる。何か、の値段はインフレしている。何か、は分散しすぎている。みんなが目指すものはない、個別の解だけある。自分が信じたいものをずっと信じたいのは分かる、が、難しいね。

食事と睡眠が安定してたらそのほかは別にって思ってたけど、それらが叶うとやっと自分の適性とかがわかり、そして食事と睡眠が安定せずあの年収だったのか、と過去を思う。就業と始業のインターバルとか持ち帰り残業とかその他諸々が見て見ぬふりされてたからな…持ち出し労働は厳しかった。そんなに持ち出さなくても貰えたんじゃ、はそう。資格のせい?経験のせい?って分析しても結局は自信なさげに振舞ったのが全てかも、そして折らせる環境だった、もそうかも、おしまい。おしまい、ではない、じゃあそこからどうする?なので。

自分のクリアな願いに忠実で居続けるのは難しいし、そんなこと考えなくても生きていける社会のほうが多分正しいし。のんびり生きていけることのほうが重視されるならそれはそれで。そして今これをがっと書いてるのはキャリアへの後悔とここからどうあがっていくか、を今更、30代を半ばも過ぎ、思ったから。懺悔は何の役にも立たないから行動と思考しかないんですけどね。死んだ目の中で働き続けるのも向かず(人によっては天国)年齢的な今更を覚えることも多く、もうずっと、足りないまま。キャリアの話は生き方の話であり自分の哲学の話だった。

SESなんて通らなかったらよかったかも、とか、でも最低限経験を回収できるからよかったのかも、とか、時間が出来て振り返ることができると昔のことがどんどん小さく見えてくる。見えてくるけど、経験すら回収できないとか、自分が今持っているものが上澄みだと気づくことがある。キャリアのことを考えられるのもまた上澄みだよ。やりたいことと積みたいことを考えられるのは目先のことだけで生きていく必要がないからで。ここからの逆転なんてない、自分しかいない、が見えてきたから、尚更プリンセスや推しに自分を重ねることが虚無ってんだろうな。

お手紙
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