やっっっと書ける…
読んでくださる方が万が一期待をしてはいけないのでここで書いておくと、原作読んだことない、初演観てない、フランス革命は知識としては知っているがさしてフランス革命を扱った作品が好きというわけでもない、です。だいぶノーマークだったんだけどなんか評判いいし雰囲気で観た感じです…雰囲気観劇界隈wこの手の作品に触れるたびに自分のことを無学無教養だなあと思うので、賢そうな話はできません。
それでも…この感じで観て涙が溢れて、自分の中に何かが残った。それはとても素晴らしい体験で、何物にも代えがたい。そう思ってずっと感想を書きたくて、今やっと書けるようになった次第です。
共感とバウンダリー、構造と抽象化、舞台で上演されることでやっとわかることがある。大分経っちゃったから適当な表現になってたら申し訳ない。それでも書きたいんですよ。
現代と構造がほぼ同じの物語だな、が最初の印象。一幕の最初でアルコールが規制されていた旨描かれているけれど、何を規制する・しないは支配する側の都合であり…とかを思った。18世紀後半も国家がアルコールで民衆を統制してきたのかな。シドニー・カートンが酒浸りである旨も描かれていたけれど、孤独で完璧主義で人からの愛をあまり受け取れない人物として最初描かれていて、アルコール依存症だなあ、今もこういう人いますね…みたいな。(酒浸りって書け依存症って書くな情緒のない…)ちゃんとしたいい人としてシドニーが存在しないのがいい。ちゃんとしてないほうが共感を得られやすいとかもあると思うんだけど、いるよねこういう人、の線が引かれて現代とつながる感じ。今の時代から見た古典を遠いものとしないための導線が初っ端から感じられたの良かったな。
衣装は全部暗くて、それは色が暗いんじゃなくてその時代の停滞感とかどうしようもなさが含まれている感じ。
ナチュラルボーン貴族岡様のInstagramより。
前田文子衣装の繊細さもそうだし、仕立てがいいのかな、衣装の格で身分が表されていた感じ。なぜかこの二都物語ではそれを強く感じた。人物造形で現代とリンクさせて、そのほかの要素に時代背景が任されているのが上手い。
宮川浩さんと未来優希さんが揃ってるのでパレードを思い出しちゃった自分がアレかもしれないけど、他のフランス革命を描いた作品よりもどちらかというとパレード、ラグタイムに近いような、今とこの時代はどう違うのかと考えてしまうような重みもある、と思う。私は二都物語を時代劇ではなく今と近い時代の話と受け取っていて、遠くにおけるほど今の世の中は良いものではなくて、近くにおきたいほどには人間はまだこうであってほしい、の希望がある。遠い話に留めるにはもったいなくて、近い話にするには少し気恥ずかしくなるほどに尊くて。舞台でしか受け取れないものってなんでしょうね、感動ってなんでしょうね、別に観たくらいで何か変わるわけじゃないでしょ私たちって。でも何かが動いちゃうことはある。
時代が暗ければ暗いほど風刺は的を射たものとして捉えられやすくて、二幕の道化なんかそうだな、マリー・アントワネットが敵であってほしい気持ちとか。いやまあ実際的ではあるんだけどさ。身分制度と人権は相反するものだけど、次第に何がどうなっているのかわからないまま憎悪だけが進み続けて無実の人間も殺されてしまうとかも、今にない話でもないんだろうな、と思う。今の時代のほうが階層構造が見えづらくなり一見平等に見えるがその実はみんな牽制しあって横並びで貧しくなることを是とするとか、本当の敵じゃないもの、敵だと思いたいものに目を向けがちにも見える。身分制度で区切られた時代、人権が確立した後の現代、どっちも大してよくはないんだけど現代のほうが少しマシで、マシな時代を維持するためにはあまりも多くの障壁がある…って話がずれたな。構造としては二都物語の時代も今もそんなに変わらないように思うね。この辺りはなーベルばら読んだりはしたけれど一応ヅカヲタなのにフランス革命にさして興味がなくて自分が不勉強だなあ…
今の時代に近すぎない要素としてはやはり井上芳雄のシドニー・カートンと浦井健治のチャールズ・ダーニー、この二人がこの役を演じるからこそ清々しいほどにクリアで、それぞれの洗濯は間違っていないと思わせる説得力があって、この二人じゃないとこの演出で上演できないのではと思うくらいにニンに合うというんですかね、抜きんでたものを感じた。芝居の応報のバランスとかさあ…思わず惹きつけられる、自分の中の何かが動く芝居ってあるんだな。
心が動く、って自分の実体験やバックグラウンドとイコールじゃなくてもそうなってしまうもので、自分では制御できないもので、狙って出来ないもので、予想通りもあれば予想外もあるもので。家族愛とか自己犠牲とか自分にはわからない/メインで関心のある事柄でないはずが、わかる・わからないを越えたところで自分が何かを感じ取って二幕泣いてたから、やっぱなんかすごいんだよこれは。今って言語化ブームだけど、別にこの理由を言葉にしなくてよくないですか。自分の心が動いたってことが第一でよくないですか、私がこの辺りのこと、心の機微とか役者の話を書くのが苦手なのもあるけど。正しいから共感する心が動く、不朽の名作だから好き、じゃなくて、巧いからいいわけでもなくて、そんな「だから」で表現できればどれほどよかったことか。作品を売り込むフレーズはどうしてもワンパターンになり射程圏内が広めになるし、その広い射程圏内は多分皆が「そういうもの」と信じていて、でも自分の考えとかバックグラウンドはそこからズレていて、でも心動く芝居がそこにあって。観るって面白いですよね、舞台の上と自分の間には明確に境界があるのに引きこまれるし、今と違う時代の話も要所要所で抽象化して今の時代と同じところを探すことが出来る。同じだからわかるとかわかりたいとか心動くんじゃなくて、違うところから何かが見つかる感じを良いと思って観ているんだな、と思った。同じことの確認じゃなくて違いから何かを見つける作業。別にこの話を二都物語に寄せてしなくてもいいと思うんだけどさ、二都物語を観た後自分が何を思ったかってやっぱりこういうことなんだよな。だからノーマークの作品でも雰囲気で観てしまう。いっぱい考察していっぱい何かしゃべるだけがいいのでもないと思っていて、これくらいの感想の出力でもいいかな、とか。
二都物語観る前にキンキーブーツ通ってだいぶ感覚がそっちに寄ってたけど、観たら一瞬で引きこまれたからほんと面白かった。今の時代だからいいとかの評価軸じゃないところで観るのはいい。言語化しないところで観て、自分が書けて、書きたいと思ったところだけ書くのでいいのかもしれない。って言ってるうちに今になったけど…
全然どうでもいいんだけど、福井晶一さんと松本俊彦先生(依存症治療の第一人者)って似てるよね…時代背景とアルコール依存とか調べてたらそう思っちゃって…
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