書きたいから書くだけで誰のことも代弁してないし、別に私は寛容でも親切でもないですよ。ただフェアじゃないことが嫌なだけ。
trillが投下した燃料におすすめ欄が埋められていて、こうやって人は極端になって自分の気持ちを聞いてほしいだけで…(一応元ネタとして貼っておくけど別にクリックしなくていいですよ)
そもそもtrill及び今回の記事って、
・yahoo株式会社と資本提携しているdelyという会社が配信している
・今回の「上演中の会話が控えられない人について」の記事に出てくる俳優がそもそも不明。がんばったら特定できるかもしれないけどがんばれないや。
・アンケートがtrill調べ。楽天インサイトとかマクロミルとかで募集したやつじゃないかな。
・アンケート回答の中に上演中の会話やっちゃう勢の話があるけど、宝塚とか劇団四季とか入れててうまいこと印象付けてますね。
・アンケートの回答内容の時制が分からない。今の話なのか学生時代の就学旅行の話なのか混ざっている。必ずしも今劇場に足を運んでいてそれでも喋ってしまう人、だけの話じゃなさそう。
・読み手が確実にイラっとするように回答がまとめてある
という感じですね。アクセス数が増えて火元として機能してクリック数増えると儲けになるのだろうな~と思いました。言及すればするほど儲けが増えますね。でも無視できない気になる話題だから観劇界隈が触れちゃいますね、イライラしたら正解のつくりの記事だしね、うまいこと誘導された我々はどうしたらいいんだろうね…
2025.2.18追記 私は元記事の内容にあるようなお喋りには寛容では無いし、元記事には喋る理由まではあっても事情は書いてないので、以下に続く合理的配慮の話は想起しただけです。ただ、劇場で小声で鑑賞サポートせざるを得ない状況もあると思っています。何らか事情があってチックが出る人もいるだろう、とも。障害のある人もない人もチケット買った以上は同等に観る権利があるけれど、それを観客同士の忍耐寛容慈悲に求めるのではなく事業者側に求めるものです。あと特に理由なく劇場で永遠に喋ってるやつは帰れよ……
何か事情がある人だって人に迷惑かけたり嫌な顔されたくて劇場に来たわけじゃない、という当たり前のことが見落とされたまま、これは迷惑だ、の話が飛び交っているのは結構厳しい。目が見えて耳が聞こえて姿勢を保持できるだけの身体の健康さがある人とのみ楽しんで感想を交わしたいみたいなのになっちゃうよ、意図せぬ優生思想。それはさあんまりよくないと思って書いてるとこもある。
劇場にいて音声ガイドが必要な人、字幕が必要な人、座席に着くまでに介助が必要な人、姿勢保持が難しい人、
その他諸々できないことがあって「あなたのように黙って背筋を伸ばして鑑賞することが難しい人」、
みんな別に誰かの邪魔をしたくて劇場にいるのではないと思う。のに、Xに話が流れるとどうも対立のおバズりがあり、あなたの気持ちを慰めるための材料を探すように仕向けられてしまいがちだ。あなたの気持ちを慰めるための言葉はたぶんこのブログにはないんだけど、どうかイライラさせられる構造と、どうしたらいいかを一緒に考えたり、合理的配慮に少しだけ思いを寄せてもらえたら嬉しい。
で、私個人としては観劇中に話声が聞こえてきたら気になるし、何か事情があるのだろう…とすぐに寛容になるのは難しいです。立ち見だろうがSSだろうが観劇のその日を心待ちにしていざ座ってそれはさぁ、残念な気持ちになるよ。
でも、その話し声にやむを得ない事情があって、でもその事情を主催側が汲まず、何の対策も打たなかったためにそうなってしまったとしたら?
主催側が、脳機能に障害が無く身体も手足に障害がない状態が当たり前じゃない、が見えてないのを客同士の思いやりと寛容のせいにしていたら?
察しのいい方はここでお気づきでしょう、主催が「合理的配慮」を怠っていたら?
いつ書こうかと思っていた観劇と合理的配慮の話の続きをtrillなんてものが火元で書き始めているわけですが、私自身は現在観劇において合理的配慮を必要としていない立場です。でも、個人の思いやりと寛容に任されすぎている現実と、それを無視してXが盛り上がっているのはつらいものです。Xなんて大体そうだし、匿名を盾に言いにくいことをいうようなところほんとさあ…って思います。Xで合理的配慮を必要とする方としない方のエアリプレスバみたいになってるのもつらい、つらいけど私はブログを持っているのでここに書く。私だって寛容とか慈悲とか自愛とかついでにご自愛という単語も嫌いだけどさ、Xおバズりになるほど落ちぶれてないってもんよ…
上演中に発声せず前傾姿勢にならず観ることが出来る人と、体勢の保持が難しかったり何かしら障害由来で声が出たり物音を立ててしまう人と、座席配置などですみわけが出来たらいいよねと思うけど、そもそも後者を主催側が認識してないとすみわけのための材料も揃わないというものです。
周りの観客が障害や病気由来で静かに鑑賞することが難しい、はそういうことがある席だと分かって選ぶか選ばないかチケット取る際に分かればいいんだけど、想定してなくてそうなってたら嫌じゃない。芝居を見に来たのであって客席の声を聞きに来たわけではないのだが?の気持ちはとても分かる。それはそうだよ。チケット代安くないしな。
観劇の話じゃないけど、国立競技場だとセンサリールームというものがあって、国立競技場の座席で試合を見るには光や音、周りの人の歓声といった音といった刺激を最大限遮断して鑑賞することができる空間があります。見た感じ普通の客席より遠い感じはするけど、その空間にいることで落ち着いて楽しむことが出来るのはとてもいいと思います。
これが劇場にもあればいいのにね。親子鑑賞室や、そうとは書いてないけどロビーの一角にモニター置いててそこで見れる、はぼちぼち見かけるかな、兵庫県立芸術文化センターの片隅で見かけた気がする(喫煙室を潰してそうしたコーナーにしていた)
センサリールームが必要なケースは過度の刺激から遮断されて試合を楽しむ、になるけど、劇場ってみんなで同じ場で同じものを楽しむのがまだまだ前提となっているな~と思う。そして感覚過敏があって劇場にいるのは刺激が強いと感じる人、病気とか障害とかで体勢保持が難しく声も出てしまう人も一緒の場で観ることになってるけど、それはそうした当事者の事情を主催が拾えてないんだよなあ…
そして、事情が分からない客からの「マナーが守れる人だけ劇場に来いよ」「こんなこともできないなんてありえない」がSNSで独り歩きして当事者が委縮して劇場は健常者ばかり…よかったですね、ほんとうによかったのか?みたいな状況がいい、のかなあ、私はよくないと思いますけど。
そうだね、SNSは気楽な独り言ツールで身内との交流をする場だからそんなに深く考えずにつぶやいた言葉が広がるなんて考えたくないよね、分かる、とみにXはもうそんなこと言ってられないですが。
事業者による障害のある人への「合理的配慮の提供」が義務化されているし、障害のある人(障害者手帳の有無は問わない)が事業者である公演の主催に字幕タブレットだったり、音声ガイドだったりを要求した場合、建設的対話に応じる必要があるのです。
障害のない人はチケット取って当日劇場に行くだけで済むところ、障害のある人は楽しむために事業者にアクションを起こさないといけない。今はあらかじめアクセシビリティについての案内がある演目も出てきたけど、それでも十分ではないと傍目から見ていても感じます。
主催に連絡する手間も続くと心折れそうになるということは容易に想像がつきます。劇場なんて行かなくていいや、とか、劇場でしか得られないものがあるけど劇場に歓迎されてない気がするって思うと気持ちが塞ぐじゃない…想像だけど。
主催がなんともならなくても周りの人に助けてもらえば、と簡単に言う人もいるかもしれません。その助けてくれる人が友達の場合は事業者ではありませんので、ずっと頼るのも忍びないでしょう。ガイドヘルパーの介助が得られることもあるかもしれませんが、字幕なり音声ガイドなりを要する観劇においてどこまでガイドヘルパーが入り込めるのか、そもそもガイドヘルパーもチケットが必要だったら結構大変だな、も思います。障害があるのだから謙虚に、観劇できるだけ有難いと思わなくちゃ、の圧を劇場でもかけたくなる人はいるだろうな、そうして健常者の10倍くらい「すみません」「ありがとうございます」を言わないと障害者が同じ娯楽にアクセスできないんなら、もう構造が気持ち悪いよな。
劇場で喋ってしまう人、について、注意を聞かない高齢の客だとかマナーの悪い若者だとか各々自分が経験した嫌な体験を重ねて言及をしていると思うけれど、高齢者だから礼儀を知らない若者だから育ちが悪いからのラベルを貼って処理しても、自分が見えてるよりずっとたくさん「何か事情がある人」がいる、に思いを馳せられないものかと思う。そして個人間の対立になることは構造の問題で、観劇であれば主催が合理的配慮を怠っていたり建設的対話ができてないんじゃないか?と疑えないものか。その情報が行きわたらないようにしているのもまた事業者側の怠慢にも思う。
結構いる、普通に見えてもそうじゃない人。あなたの隣にもいるけど、あなたに知られないようにしてるだけかも。
合理的配慮とはずれる、個人的な話をすると、私はよく「お育ちが良さそう」「親御さんの教育が良かったんだね」って言われるけど、まあ、生育環境はブログに書いている通りなんですよね。擬態なんてせざるを得なくなれば簡単にできるんですよ…あなたに知られないようにしているだけで。
日本人は困っている人への同情が低い ~社会支援行動と文化的背景の関係性を解明~ – 名古屋大学研究成果情報
日本人って困っている人への同情が低いという研究結果も出ているし、そしたらそんな中で自分の困難を開示するのはよくて流される、悪くて攻撃のネタを提供するようなものなので、言い難いですよね。そんな国民性であれば、レミゼ観て革命に思いを馳せてもそれは観劇中だけで現実の声を上げることに冷たかったりともすると冷笑したりも仕方ないかもしれないし、そもそも観たくらいじゃそんなものかもしれない。だからこそ構造の問題に目を向けて声を上げる必要があるし、自分が困ってないなら最低限声を上げる人の邪魔をしない、署名の頭数なり寄付なりでそっと支援する方法もある。
障害がある/ないは地続きだから、どうか「何か事情がある人」に目を向けては貰えないか。合理的配慮について考えてみては貰えないか。観客のあなたにだけ考えろとは言わない、マナーで済まない事情がある人にだけ押し付ける問題でもない、事業者の姿勢について観客として問うていくことはやったほうが結果的にミュージカルというものが日本で続いていくのではないか。
N2Nが上演されても、レミゼが長く愛されても、劇場の中と外が分断されていては劇場が単なるゲーテッドコミュニティになるだけじゃもったいない。
合理的配慮の話からずれちゃったな、うまく書けてなくてごめんね、自分の気持ちを書いて出しするとどうにも文章が散漫だ。あんまりさ、匿名でも悪口ばかり言ってはいけないよ。
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