ファニー・ガール@梅田芸術劇場 20261010感想文

ミュージカル

人生のほろ苦さを華やかな音楽にのせて。

王道クラシカルミュージカルがハーヴェイ・ファイアスタインの改定脚本により、そして日本でこの座組で上演されることで今の輝きも影も纏い舞台を通じて私たちの傍にファニーがいてすれ違ったような感覚のこの作品、音を浴びて味わい、光で見えなくなるものと必要なときに必要な人はいない、みたいなことを思いました。

久しぶりに観て直ぐ感想書くからうまく書けるかな、でも寝かせても一緒か。ということで提出します。特に何も考えてないです!

あらすじ

STORY
ストーリー
ファニー・ブライスは女優を目指す下町育ちの女の子。取り立てて際立った容貌やスタイルでないことから、母親はファニーに夢を諦めるよう促すが、親友のダンサー、エディ・ライアンとレッスンに励む日々。

持ち前のユーモアと根性でコーラスガールとなったファニーは舞台上の失敗をチャンスに変え、客席は大喜び。劇場と契約を結ぶことになり、ファニーの人気は急上昇する。

ファニーの噂を聞きつけた大プロデューサー、ジーグフェルドからニューヨークに呼ばれたファニーはついに夢だったフォリーズに入団することとなるが、美貌を売りにするショーで自分の持ち味は生かせないと、ジーグフェルドに無断で妊婦の格好でショーに出演。ジーグフェルドは激怒するが、熱狂する観客を見て、彼はファニーがフォリーズのスターになると確信するのだった。

その頃ファニーは上品でハンサムなニック・アーンスティンと出会い恋に落ちるが、2人の関係性の複雑な危うさにも気付く。しかしその後2人は再会、互いの感情を確かめ合う。ニックにはギャンブルの過去がありエディは心配するものの、ファニーはニックとの結婚を決意。

スターダムを駆け上がるファニーは、結婚したニックと共に豪邸に転居するが、大女優となったファニーに対し、ニックの仕事は浮き沈みが多く不安定で、妻との格差にニックは焦りを隠せない。ついに怪しげな債券取引に手を出し詐欺罪で逮捕。ニックは刑務所へ送られるー。

日生劇場公演『ファニー・ガール』STORYより

ファニーとニック

望海風斗と坂本昌行が夫婦役か~くらいの前情報ミリしらで観たけどめっちゃいいね…!
望海さん、サンセット大通りやりませんか?ノーマ・デズモンドが重なったよ。そして私は坂本昌行のことを、ザ・ミュージック・マン以来稀代のミスター・チャーミングと思っており…今回もそのチャーミングさが光っておりかなりよかった。

うまくいくこともあれば、いかないこともある、みたいな話なんだけど、二人の時計の向きは逆というか、ニックの輝きのタイミングとファニーのそれがずれてて、哀しかった。あの時じゃないと出会えなかっただろうし、目に留まらなかっただろうし。魅力的な輝きと欠けを埋める、が重なると大体上手くいかない。金銭的にファニーがニックの欠けを埋めてしまう、はもう対等じゃなくなるからね。ニックに魅力的であってほしかったが原則借金の肩代わりはダメで、突き放すほうが愛なんだよね…。

突き放せなかったのは魅力的なニックのままであってほしかった、かもな~と思い、でも魅力的であると思われ続け待たれ続けるのは耐えかねた、のかもしれない。
でもさ、ニックも、よく見せざるを得ない人生だったのかも。そうせざるを得ないとき、そうなってしまうとき、人は純度高くそうなり続けてしまうから…見栄を張らず堅実にというのは簡単だがそうせざるを得ないなら、そしてそれに惹かれてしまうなら。
人は変われない、じゃあどうする?のアンサーが最後のシーンかな。

変われない、はファニーにもかかっていて、売れてない頃からファニーはずっとファニーのままで。別に結婚しようが出産しようがそれによって生じる責任は変われなさを覆えるものではないな、と思った。どっちも大して大人になれていない部分があって、そこから目を逸らしたり本当に見えてなかったりで。多分そういうことを思って私は二幕で泣いたんだと思う。エディやブライス夫人たちのことは光で見えなくなってたのかもしれないね。

音楽のこと

東京公演は塩田明宏指揮だったと今知り、そうか~と思ったけど福田光太郎さんの指揮もまた良いものですね。塩ちゃんが強烈に鮮烈だからそっちの印象が強くなるけども。笑
今回ファニー・ガールは珍しく真ん中下手にベース・上手にドラム&パーカッションで、個人的にめちゃくちゃ好きな配置で嬉しかった。高校の吹奏楽部でこの配置経験して以来配置で音は変わる論者で(しかしなかなか伝わらない)、ファニー・ガールの楽曲に推進力増幅させてる感じがありかなりよかったな。上手側に配置されたトランペットが3種類くらいミュート使ってるのとか、ホルンがいい仕事してるのとか(ホルンもオケに入っていると嬉しいね)、バスクラリネットがゴリゴリに木管低音がやることをやっているのとか、オーソドックスな楽曲なれどオーケストレーションがかなり好みで嬉しかった。コントラアルトクラリネットの音域が聞こえたようなそうでないような…

パリッと明るく金管の華やかさやそれぞれ楽器の特性に合った楽曲だからこそ物語の影の部分が引き立つというか、光と影、は物語の筋だけで出来てるんじゃなくて音もそうで…ミュージカルは全て合わさってできている、と一言でいうと簡単だけどここまで設計がしっかりした作品はなかなかないと思うことです。

時代背景的にはスーザと被るのでラ・タ・タ・タがスーザぽくて面白かったな。

装置と照明のこと

パンフレット読んでたらBWはオートメーション使った装置らしかったけど日本版はシンプルなもので、でも照明の使い方で舞台が引き立っているように思ったな~強いて言えばタップがもっと響けばよかったがタップボードあったかな…?と今思うくらいか。
どのセクションにどこまで役割を、どのように持たせるか、のバランスが本当に良い。時代背景の描写のためにそうしてる、もあるし、今の時代に伝わる芝居にするならなおさらそうしないと、もあると思うな。

時代背景

本当にミリしらでとった(かろうじて出演者は抑えていた)ので、台詞でジークフェルト・フォーリーズと出てきたからラグタイムと同時代か~と思ってたら、また台詞でハリー・フーディーニ出てきて笑った。(ハリー・フーディーニはラグタイムの登場人物です。)そこ並行して存在することあるんだ。

ラグタイムは複雑に入り組んでるのをバラシて鑑賞して考える…みたいな作品ですが、ラグタイムとファニー・ガールは対で置いてみませんか?だめですか?どうですか?ファニー・ガールもラグタイムほどでないけどユダヤ系要素あるし…

屋根の上のヴァイオリン弾きといい多少はユダヤ系の知識がないと自分の中で深められない作品って多いのかも…が今更の気づき。
ファニー・ガールという作品を鑑賞することに直接役には立ちませんが、自分が観た作品で年表作って、相互作用は認められないにせよ整理しておくと多分何らか効くだろうね。ある程度の知識量とそれを整理する作業、その作業から何らか成果物を生成することが好きすぎるな。

そのほか

好みの問題だけど歌詞は森雪之丞だな~となった良くも悪くも。自分にハマったりハマらなかったりするがそういうこともあるね。

久しぶりに舞台で佐々木誠さん見てかなりよかったな、場を締める人がいる感じ。照井さんも同じ枠に入れている。長澤仙明さんみたいに小柄で踊れる役者って実はそんないないのかもしれない…と思うと貴重なものを見た気分。
相変わらず堂雪絵さん~!になり、長身女性ダンサーが好きなんでしょうか…tdvのときかなりメロついていた記憶がある(が、その記憶を発信していないので、今ここに流出させている)
ダンスも難しいのが多く、でもそう見せないおしゃれさがあり、振りは手の使いかたが印象的でしたね。身体のどこを使うかで印象変わりますね、という当たり前のことを…多分だけどこう見せると古いしこう見せると今回の芝居に合う、みたいなラインがある。ブログ書きが言うことじゃないけど言語以外の表現、特に身体表現は大事にしたほうがいい。言葉以外での伝達、表現を受け止められるものでありたい。本当にブログ書きが言うな、ではある…

これは当ブログの中で繰り返し皆さんにお伝えしていることですが、なんでも言語化、なんでも発信、AIに投入して即シゴデキ!お役立ちプロンプト10選!みたいなことが持て囃される今だからこそそうじゃないものを大事にしたほうがいい。一応書きたいから私はブログで発信しているけれど、言葉にしないもの、ならないものの価値があり、言葉からあふれ出たものが踊りになり、歌になり、芝居になるのではなかろうか。言語化なんて、別に凄かないよ。それより自分が何を感じて何を表現したいかのほうが大事だよ。ミュージカル流行ってないとかじゃないよ(ダウ90000蓮見のお笑い流行ってない、より)

スマホは流行りすぎてるしお金払って3時間劇場に拘束されるのはタイパ悪いかもしれないがそもそもそのパフォーマンスの測定基準って何よ、直ぐに効かなきゃダメってことないだろ、直ぐに効いて役立つものもあれば長期でなにかいいことがあるってのもあるでしょうよ。こんな時代ですけど劇場で受け取れるということを大事にしたいね、が本日の総括となります。

本人比まだ読みやすい気がしますがいかに、なにか話しかけたいことがあればマシュマロを置いておきますので、よろしくお願いいたします。

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