20251011 ミュージカル『Once』 @梅田芸術劇場 感想文

ミュージカル

男女が出会ってそして、を描いただけ、ただそれだけの小さな話なのにどうしてここまで惹かれるのか。生成AIに投入するための言語化が持て囃される昨今ですが、観ながら、別によくないですか言葉にしなくても、言わなくて・言葉以外で分かることを認知出来ないときはそれはそれで、みたいな気分で劇場を後にしました。
京本大我主演でチケット取りにくかったとか色々はありそうだけど、いやーこれは今年一番の観れてよかった作品だなあ…演劇の力、作品と観客の間の信じる力を可視化した作品に思いました。もう可視化とか言語化とかの野暮な言葉を並べて自分の感じたこと説明するのって死ぬほどダサいと思っちゃうけどさー、ダサくても言葉を尽くさないと伝わらないし、でも誰かの言語化に縋っても自分が良くなるわけではないし、言葉にしたくないくらい大切に観たけど言葉にしないと自分が考えたことは伝わらないから、感想を書き残しますね。一川華訳詞、稲葉賀恵演出っていいな、この二人に任せるというのがいい。パンフレットを購入したのに行方不明だからどの場面がどうとかは記憶ベースです。相変わらず人を選びますがそれはもう今更で、合わないと思ったらそこで読むのをやめてください。反対に、他の投稿も読んでやるか、と思ったら是非お願いします。

物語はアイルランドの首都ダブリン。“ガイ”(京本大我)は、自作の歌を路上で弾き語りしている貧しいストリートミュージシャン。父親の店で掃除機修理をして働いている。情熱を注いできた音楽も評価されず、失恋を機に音楽をやめることを考え、最後の路上ライブをしていた時、彼の音楽に心惹かれたチェコ移民の“ガール”(sara)と出会う。“ガール”は、“ガイ”に掃除機修理を依頼し、代金としてピアノの演奏を提案する。渋々“ガール”に連れられ訪ねた楽器店で、“ガイ”はギター、“ガール”がピアノを奏で、“ガイ”が前の恋人に向けて作った曲「Falling Slowly」を一緒に歌う。出会ったばかりの2人は音楽によって互いに心を通わせていくのだった―

ミュージカル Once STORYより引用

あらすじを↑に引用してみたけど本当にそれだけで、特に大きい起伏もないし個人が時代の波に流されるドラマチックさもないしそもそもなんでミュージカルに?くらい地味な話です。が、べつに、それで良くないですか?って思っちゃった。派手なものだけがミュージカルで伝えられるべきものではないねえ。我々観客は知らず知らずにミュージカルかくあるべきを思い込んでいるのかもしれない。本来もっと自由な表現手段なのかもしれない。っていうのを京本大我主演な時点ですわ派手な話か!?と構えた自分に言ってやりたいな、先入観をあるべきを軽やかに越えて届くものが確かにそこにあると。

演劇的な、ストプレでやったほうがよかったんじゃないかみたいなものをミュージカルに乗せる意味ってやっぱりあって、シンプルに「そっちのほうが届く」みたいな判断だと嬉しいなあ、と思った。届いたので…
私の人生における謎自慢話として「2015年エリザベートの京本大我プレビューを観ていた」があるのですが、そこから10年、京本大我という人はとても立派な役者ですね。静かなところとか心の動きとか微妙さとかの表現が上手いし、アーティストだから歌の説得力もある。saraさんのエネルギーとの呼応が見てて心地よかった、人間ってこうだよなあ、みたいな。舞台の上で人間を感じると有難い気持ちになる。観たときちょうど移民問題とか、日本の中でもどこに住むかで見え方が違ってくる話について考えていて、あ、ダブリンとチェコの移民って遠いようで近くて今だと危うい話なのかなと思っていた。だから冒頭ちょっとヒリついた感じ方をしたけれど、でもある話で、というか本来こうだよなあみたいなことを思い…日本にいたらアイルランドもチェコも遠いけれど、人間がやることに遠いも近いもなくないですか一緒ですよ、ということを思った。排外主義がまかり通る時代であってもミュージカルは届ける手段の一つであり、いや、でも、それが全てでもないしいいところだけでもないが…と歯切れ悪く言ってしまうような。

一幕の流れの上手くいきそうな雰囲気、チェコ語字幕が出るのはやっぱ必要な演出、ガイがやめようとしていた音楽をガールがまた続ける方向に後押ししたこと、などなど、噛み合ってるのかよくわからないけど悪くなくて進む感じが良かったな。まあ、こんなもんだよなあ、といい感じに力を抜いて鑑賞できるかんじ。観てて疲れなくてもいいんだなあ。アンサンブルのコンテンポラリーを感じる振付も自然でいい。不思議な感じがするんだけどでも自然。全部するっと流れていくけど自分の中に残るものもあって、でもそれは所謂「刺さる」の感覚とも違って、面白かった。
二幕も、そうだよな皆意志があるし誰かにとって都合よくないし、でも知り合えたら大切だし、とかなんか人間らしさがあった。そうそう二幕で好きなところがあって、セクシャリティについての表現がすごいサラッと流れてって良かったんだよな。たしかバンドで集まる場面で、ビリーが「俺は△△が好き」バンクマンが「私は△△より〇〇が…」ビリー「女に〇〇はない…OK、理解」みたいな台詞のやり取りがあって、伏せないで書いたほうが伝わるけどちょっと勇気なくて伏せさせてほしいのだけど、なんかわかんないけどよかった、観た人にこれは伝わってほしい。様々なものを内包しているけれど別にセンセーショナルにする必要はなくて、ただそこにある人のことだもんな、全て。多様性言いますけどDE&I言いますけど都合のいい数値で表されるものだけ不必要に注目するのではなく、先ず、ただそこにある人のこと、で(これLinkedinの中のDE&I文脈に相当疲れてんね、こういう文章書くほうがずっと楽しいのにね、もうLinkedinやめたいね)

ガイとガールが上手くいけばよかったのかもと思うけど、こうなってしまうこともあって、それぞれに進む道がある。でもそうであっても軌跡が重なることってある。個人間の小さい話を海であり宇宙であるものが包んでいく感じがあり、客席の自分もまたその宇宙の中の一つで小さい存在で、でも物語があり今ここに確かにいる、作品から何か受信して、信号を返すようで、それは心が動いた感動した以前のもので。大きなものの前で無力と感じることは多いが、大きなものよりもっと大きい宇宙の中で我々は星の軌跡のように重なり、また離れる。それぞれに引力があるから、上手く重なる時もあるし、そうでもない時もある。ガイとガールは離れてそれぞれの軌跡を進むんだなあ。

こがけんとか鶴見辰吾さんとか、ガイとガールじゃないひとたちもとてもよかった。自然にそこにあって、役を生きるともまた違うんだけど作品の中にあって。座組見るとミュージカルぽくないけど実際の舞台を観るとミュージカルで、いいキャスティングだったなあ。もったいないとかそうじゃないとかじゃないとこにある作品っていいな。
メリー・ポピンズ2022とミス・サイゴン2022で結構好きだった樋口祥久さんの舞台姿を久々観れて嬉しかったな。サイゴンで表に立つの引退と当時仰ってたから、樋口さんが表現できる場があってよかった。樋口さんは全公演終えてからOnce を終えて 出会いに感謝というブログを書かれているので、Onceお好きな方は是非お読みください。

自分の表現するとか伝えるとかも引力があり星のようなもので、Googleのアルゴリズムに乗せるのとは別の伝わりますように、見つかりますように、があって。誰かの軌跡と重なって自分が見つかる感じがある。戦略じゃないところで。見つかりましたか、見つけてくれましたか、ありがとう、またね、を繰り返して個人をやったり集まったり。都合よくなくてもなんとなく集まってなんとなく話して惹かれてとかやっていけばいいじゃないですか、その勿体つけた言語化よりも動くことですよ。読める動きなんてAIに食われちゃうから、人間らしく変な挙動をやっていきましょう。

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