NINE@梅田芸術劇場感想文

ミュージカル

感想文を2020年中に書けなかった作品について、の感想文です。
2020/12/12マチネを観劇しました。

観劇にあたっては、原作の映画や過去上演されたものについての予備知識なし、キャストとスタッフを把握したうえで臨みました。

一発目の感想は「私は好きだけど苦手という感想もさもありなん」ですね。
演出面においては、多言語での台詞や歌唱、後ろからの照明が多用されており見づらいのが残念。集中が削がれる。藤田俊太郎演出ってこんなだったっけ?
歌唱はある水準で揃えてきたなと思ったけど、芝居のレベル感が…まあいいか。
と、感想を書くにあたって珍しくネガティブを先に出して「それでも好きだけどね」で語ろうとするあたり、これはこれで業です。


さて、私が主軸として語りたいことは一つ「アダルトチルドレンとしてのグイド」です。
アダルトチルドレンというものは医学的な診断名ではなく、自己認識としての概念なので語るには弱いかなと思いつつ…
私自身がアダルトチルドレンの自認があり、生育環境起因の生き辛さと向き合いながら暮らしているので、アダルトチルドレンのように感じられるものには共鳴する傾向があります。

さて、城田優さん演じるグイドって、幼く見えませんか。
たくさんの女性に囲まれていてもいつも孤独を強調するかのような空気、恵まれていても恵まれていない、満たされることのない欲望…生き辛そう。ミュージカルに出てくる人、生き辛さの面が強調して書かれているものだけれど。
出会う女性に求めるのは母性であって、多分その人そのもののことはどうでもいいんだろうなあ…とぼんやり思った。
でもたくさんママがいても、あなた満足しないでしょう。
それは、自分で自分の美点を認め、やっていこうとしないから。
大人のなりをして自分の好きなことはできるけれど、精神的な成熟度合いが足りないの、自分の悪いところはおろか美点からも目を背けているからじゃないか。
そんなグイドを城田優さんが演じているからか、いやに異形に感じられて。異形役者としての城田優考察は一度してみたい。

リトルグイドの存在は、グイドの中にあるインナーチャイルドとしてのグイドで、グイドと鏡で描かれていると思います。
これが大人グイドよりも大人に見えたなあ。
キリエエレイソンは子供が歌うから清らかなのか、いやそうじゃないでしょう、リトルグイドが歌うことによって物語はあったよ。

最後、グイドは自殺したのかどうか?ですが私は自殺せずに新しく生き直し始めた、に一票です。
リトルグイドの歌詞「転んで擦りむいて大人になる」から、どうかどうか生き直して、少し楽になってこれからを歩み直してほしいなと…
無傷でスルっとがわだけ大人になってしまえば楽だけれど、成長はない。
グイドどうかあなたの美点も認めて、欲望にも向き合って、大人になってね、どうかどうか…

私が今カウンセリング受けながらアダルトチルドレン傾向と向き合っているので、その角度で刺さる作品でした。
円盤買うかなぁ。あ、グッズは全部買いましたよ。


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