ビリー・エリオット2020に寄せて

ミュージカル

 ビリー・エリオット2020が、2020/11/14に千秋楽を迎えました。
コロナ禍での上演、これまでと同じようにはいかないことばかりでしたが…それでも、客席に届くものは変わらず温かく、「劇場に足を運んでよかった」と思いながら帰路につく日々でした。

さて、本記事では、私が客席から感じたことを綴っていきます。今の気持ち録って出しの拙いテキストですが、お付き合いいただければ幸いです。
あっ!ネタバレ注意!映画は見てなくてミュージカルのほうを2017年に1回、2020年に4回梅芸で観ました!それではどうぞ。

これは、父と息子たちの物語である。
一つ目はこちら。劇中で、父親ジャッキー・エリオットと息子ビリー・エリオットの関係性の変化に焦点が当てられていますが、もう一人の息子トニー・エリオットについてもまた変化があります。
トニーは炭鉱町で生まれ育った炭鉱スト参加中の男なわけですが、そこから見ると男らしさのあるボクシングより未知なバレエに引き込まれたビリーのことは、最初はやはり受け容れ難いものになっちゃうね。
一幕ではビリーがバレエをやることを反対し、二幕でも途中まで反対していました。しかし、弟のためにお金を出して、最終的にはロンドンに送り出す。そして自分はまた炭鉱に帰っていく。
この動きに、トニーとトニーの周りの炭鉱夫たちが、「男らしさ以外の視点」も認めたように思うのです。

バレエを理解したとかじゃなくて、ビリーが輝く世界があるようだということ、そしてビリーを尊重すること、それは自分たちがやっているストと相反しないと判断したこと…この変化は大きい。
一幕のアングリーダンスの前かなり反対してたけど、そこには「ビリーのバレエを認めると自分たちの立場が危うくなる」という気持ちもあるんじゃないかな。そこにどうにか折り合いをつけて、ビリーを送り出した。これトニーめっちゃ変化ある!
そして、二幕のロイヤルバレエからの手紙を開けようとするおばあちゃんを止めるところに、ビリーを尊重する姿勢が表れている。
それでも、ビリーのロイヤルバレエ合格通知を見る→ジョージからストについての報せを受けた後の「20万人の男がみんなクソッタレバレエダンサーにはなれんとよ」に炭鉱夫としての意地とかプライドが感じられて胸にくるものがあるんだ…だからこそ、ビリーをトニーが送り出せたのは尊いことだと思います。

父親のもとを離れロンドンに旅立つビリー、炭鉱町に残り炭鉱夫として生きていくトニー。息子たちの生き方は異なるものだけれど、父親としてはどっちもわかるんじゃないかなあ…
トニーのほうが父親に近いからこそ、ビリーがロイヤルバレエ受けるためのお金についてバチバチしたり(まあスト破りしてまでお金を得たい父親みたらバチバチする)、むき出しの感情をぶつけたり…えっ父親大変では。息子たちどっちの感情・判断・希望も尊重してってことでしょ。大変だ…

自分たちのこれまでやってきたこととは異質なものの存在を認めるって、男らしさの世界で生きてると多分しんどいことで、でもそれが弟のためになるなら…って感じなのかな、それがひとを個として尊重するということか。トニーはすごいよ。
理解することと、相手を尊重することは別で、だからトニーの判断は成り立った。
たとえその先の自分たちの選択が、うまくいかないものだとしても、ビリーを尊重できる。
ビリーを支えたのはお父ちゃんだけじゃないんだなあと千秋楽の夜の今になって思うのです。

これは、光に向かって進む物語である
ビリー・エリオットの良さは照明にもある!
全体を通してビリーの動きを際立たせるためのライトの当て方とてもかっこいいなと見惚れていました。
また、ビリーがロンドンに向かって旅立つことは光に向かって進むことであり、光に伴う影は…炭鉱町そのものなんだろうな。言葉にしちゃうと身も蓋もないけれど。

二幕でビリーが炭鉱町から旅立つところ、曲で言うと「Once We Were Kings」のところの照明が一番好きです。
炭鉱夫たちがヘッドライトつけてて、後ろを向くとヘッドライトの光が舞台の壁に反射する+舞台の壁際のライトもある。
ビリーのヘッドライトがお父ちゃんの顔を照らす。
炭鉱の入り口が閉じて、ヘッドライトの光が消える。
ここでビリーは炭鉱の人じゃなくなって、バレエのためロンドンに向かう道しかなくなる。

ウィルキンソン先生はビリーを送り出すときに、ここで学んだこと全部忘れろって言う。
手紙(リプライズ)のお母さんは、ビリーの「また会おうね」に対して「会えんと思う」と返す。
(18歳のビリーにあてた手紙の返事だから、もっと後で、「会えんと思う」のつもりだったのかなあ…)

成長は決別を伴うということが明確に描かれると、わかってるつもりでも胸がキュッとなるね。

そのほかのこと
ウィルキンソン先生の娘・デビーは見込みなしで、ビリーは見込みがあって、でお母さんの関心が全部ビリーに向いちゃったら娘としてはきついわなあ…それでなくても見込みなしには興味なしみたいな態度とられると余計にビリーに当たりたくなるのわかる。
結構むき出しに残酷だ。

今日はここまで。続くかも、続かないかも。

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