お湯と熱と日傘

tram on warsaw centrum stop at night お手紙
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急に暑くなって、お湯みたいな汗が出て、おでこがふやけそうな感じがして、夏が近づいてきましたね。そろそろ耐水性の高いコスメを投下しないと難しい季節です。
睡眠時間が6時間を切ると仕事の集中力の低下が見られたり、もう夕飯は食べないほうが調子いいんじゃないかの考えがよぎったり、引き続きコンディション調整に努めていきます。あとは触ったことない認証機器を用いた環境の構築とか今更Pythonやる必要が出てきたとかそんな感じです。ネットワークそんな得意じゃないけど頑張れるかな、やるしかないな。
やるしかないな、と、やったことないけどがんばります(元ネタあり)、と、はいがんばってー(元ネタあり)の繰り返し、そして自社のいろんな巻き込まれたことはストレスが積もるもので、どこで折れるのかと思ったら今日折れかけて、仕事中に涙が出てヤバいなと思い、取り急ぎ会社契約の電話カウンセリングでわーっと喋っていた。

ちゃんと話せる場で書こうとして書けていないことがあれこれあり、いくつかはそもそも書くこと自体を諦めた。しかし、今のタイミングで話そうかなと思ったことを書いておく。

同じような属性や階層(なに?)で仲良くなったり居心地がいい関係が続き、属性が変わると疎遠になる、ということがまことしやかにささやかれており、またいくつかはそうだと思うこともあり、それ自体がいいとか悪いとかでないと思う。ただ、はたして属性を見る目やら属性の勘ってあてになるんだろうかね。私はチケ運がよかったり仕事は続いてるけど原家族は残念なことになってるし(詳しくは住民票閲覧制限の記事を参照のこと)、何をもって判断されるのだろう。たまに「育ちがいい」は言ってもらえることがあるけどあれも偽装できるものではないか、どうか。
幼馴染というものが存在せず、高校の後輩たちとかろうじてつながりがある程度、あとはインターネット発の交友関係メインでやってるのもあってか、同じような属性や階層はピンとこなかったりする。ああ経済的に同階級と付き合いがちとかはあるのかな、どうなんだろう、あんまりそういうのは考えたことなかった、考えたくなかった(どうしてそう思うのか、は自分で掘る)
育ちと階層の話は永遠にされるだろうけど人間それだけじゃないと思うよ、とだけはここに書き記す。

「心穏やかに過ごす」ことは大切とされており、実際生きてても思うし5年くらいかけて穏やかさの理解が進んできたのだけど、でも別に毎年警察や役所に行ってやっと安心して暮らせる環境は変わってない。そう、別に心乱されるイベントが減ったのではなく、イベントに慣れていちいち反応しなくなっただけでした。イベント数減らせる人は減らして穏やかをやるといいし、減らせなくても穏やかにやるのってただの慣れだったんだね…小さな世界でご自愛に浸って生きていけたら楽なんだろうかとかの詮無い話。
本当にイベントが発生しないからルーティン外が無く穏やか、は存在するだろうけど。穏やかにご自愛ください的な祈り、あるいは気の毒に思われてかわいそうにとか言われるのは自分にはしんどくて、いや工数かかってるけど気の毒じゃないが…と思っちゃう。思っちゃうけど、気の毒がられると蓋してた感情が出てきてしまうから、そもそもあまり自分の話をしないほうがいいんだな。近況が分からない人になってしまえば楽だろうけど、ブログ書いたりの発信が好きだから匙加減を見極める。そして何より、「住民票閲覧制限をかけているが、それはそうとして楽しく暮らしている人」の話の発信は需要があるんじゃないかと思って書いているところがある。手続きが必要なのは面倒だけど、手続きしたからって不幸ではないって示すのは少しは役に立つんじゃないか。

冒頭で仕事の話を書いたけれど、まだ実家にいたころ、実家の人たちから自分の仕事を指さされて笑われて馬鹿にされて以来少しでも上の階層にとか社会的に認められるように、ばっかり考えて苦しかったのを思い出した。今は、よく言えば少数精鋭みたいな環境で降ってきたものをひたすら打ち返していて、そこに集中しないとやってられないから認められ云々はどうでもよくなってるのかもしれない。いいことですよ、「実家の人たちに認められること」はキャリアを保証しないと思うしね。
しかし、親に認められる仕事だとかいうし、キャリア形成と原家族って繋がってるとこあるよな、は思います。原体験を掘って、ライフとキャリアが重なるところを探したりすると、どうしても繋がってしまってどうしようもない。自覚があるだけマシかもしれないけど。原家族との記憶をケアしておかないと先々が難しいな、と思ったので、そこはカウンセリングなり使えるもの使って改めて組み直していきたい。

最後に、これの話したいけどいつも時間切れになるやつ貼ります。信田さよ子氏の著書は自分と原家族とのことを掘るのにとてもよくて(読んでてしんどいこともあるけど)、で働き暮らすうえでも役に立つ視点や気づきがあるので。いつかタイミングが合えば、Discordでこの話しましょう。
第7回 「苦しみ」の比較などできない – 晶文社スクラップブック

今6/13で明日6/14で明日誕生日です。病気と会社の業績悪化で賞与カットなど、33歳の一年間も一通りの良くないことが通り過ぎていきました。しかしながらボロボロの日々でもどこかで自分に前を向かせることができたらもうそれでいいです、いいんだよ。これからも舞台と音楽とゾウ、暮しの手帖、自分以外の何物にもなれないままで生きていけたら。

マシュマロとかよかったらなげてやってください。

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