推しを推せる自分を作れ、あるいは数値管理

お手紙

「推しは推せるときに推せ」といいますが、その土台となる自己管理が出来ている前提の言葉であり、自己管理の話はまた別だよね、と思うことです。

ラ・カージュ・オ・フォール2022の全国旅公演私もおっかけたかったな~とか富山行きたかった!とか今とても思ってるんですが(2022/4/16-17、ラ・カージュ・オ・フォール@オーパードホールだったので)、それはそうとして、仕事、お金、体力、休暇、他の予定、などなどがあるわけで、観劇の中に暮らしがあるんじゃなくて暮らしの中に観劇なのでね、と思ったり。いうて本人比そこそこ回数観るわけで…それでも十分多ステだよってツッコミ入る回数なので、致し方なし。

一人暮らしを始めてから早2年と8か月、ストレスは減ったものの自己管理ができない、特に食べることと睡眠がやはり下手なままなのと、そのほか諸々困りごとがあるわけで、スマートウォッチで睡眠を記録したり、人といる時だからって食べ過ぎない・あるいは食べられなくなるくらいストレスとなるものを受け止めない、などなど細かくあげたらきりがないことがあります。「生きてるだけでいい」と「自己管理が出来て一人前」の間を行ったり来たり…
コロナ禍で上演の機会というものがそもそも減ったりもしているわけですが、それでも隙を見つけて劇場に足を運ぶのがシアターゴアー、じゃあそのためのお金も用意せねばね、となるとさらに考えることが増える。自己管理の負荷は上がる。
習い事もそうだ、レッスンの日までに復習すること、家で出来るお稽古、楽器を用いたお稽古、に分けていくと、残念ながら今の私にはそれも負荷が高いんだろうなと思う。楽器は楽しいんだけどね…

それでも、それでもですよ。なりたい自分がいて、目指すものがあるならば、それに向かいたいし、その助けとなるツールは合うものをみつけたほうがいい。また、一度にたくさんは頑張れなくても、毎日少しずつを積み重ねて、それを認めたほうがいい、と自分向かいに思うわけです。だから各種アプリとか、色々を使って、数値ベースで管理していく……自分の適量がよく分からないからこそ感覚ではなく、数値で。という、わかられたり、わかられなかったりする話。自分があてになる時とならない時があるからね。

自己管理が危ういが、仕事で成果を上げること、趣味で心が豊かになる時間を持つことを捨てられない人たちは、まずは「自己管理が下手だ」ということを認めて、その上で「推しを推せる自分を作る」ために何かに頼るということを覚えたほうがいいな、と思った日です。

他の人と足並みをそろえた推しごとは破綻するよね、という観点と、そもそも、暮らし、どうですか順調ですか、という観点二つある話です。それに気づいたので今日はこの話。

上手く暮らせないなりに、ちょっとでもよくなりたいし痩せたいし、色々ある、がんばりましょう…

そっとマシュマロおいときます…

(本当は観たもののログ書いていきたいよ~)

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