価値観の変わり目など

お手紙

過去の自分に宛てる手紙。権威と資本より、自分が大切にすべきものがある話。アイキャッチは船場カリー。

権威、資本の機嫌をどうにか取りながら生きてきた時間が長かった名残りか、自分が権威・資本を得ることが出来ればだれにも負けず、下に見られることもなく、劣等感なく過ごせると思い込んでいた。けれど、その価値観を持ち続けることで、自分にも他人にも厳しいジャッジを下して、そこまでいいことがなくなってるんじゃないかな…とふと思って。
だからか、男性並みに稼ごうとかパフォーマンス発揮しようとかが劣等感から出てたな。ジェンダーの壁はあるし自分の足りないところもたくさんあるけれど、大きいものと張り合おうみたいなのはそんなにうまくいくものなのかな…と自分に懐疑的な目を向ける。
根源には、実家の父親を越えてやりたい/母親のようにすり減った弱い立場になりたくないという薄暗いのがあって…それを完全になくすのは難しいような気がするから、どうにか抑え込んだり共存したりして、自分が苦しむほうを選ぶ確率を下げることが出来たらいいね。

家、愛、家族の物語を好む反面、自分の暮らしの中にそれが落とし込まれるのはいつなのか、あるいはその機会がそもそもあるのかどうか…と考えながら、今年で33歳になります。
いい大人の年齢だよな、でも、いい大人って、どこから?しゃきっとちゃんとしたものになりたい気持ちは悪くないけど、「いい大人」の言葉で自分を何かの型の中に押し込めようとするのはだいぶ悪手です。

権威にならなくても、資本がたくさんでなくても、勿論生きててよくて、しんどいとか苦しいとかは避けていいんだよね…本当はずっと前からそうだったのかもしれない。自分の身を守るために稼いだり勉強したりでここまで来たけど、もっと自由で楽でいいのかもしれない。
心が苦しい波が来たり、こっちに行けば明るいんじゃないかと思える風が吹くのなら、その直感は悪くないと思うし、価値観を転換させてより元気に健やかにやったほうが、いい。

まあキャリアアップしたいし勉強して資格取得だったり視野を広げたりしたくて、それも大変大事なことです。お金があったほうが選択肢が増えるのも、そう。身軽で明るく元気で健康、の上にお金を載せてやりたい。できれば人の意地悪が気にならなくなるといいな、とか色々ある。

少しだけ人より軽やかだとすれば、それは身寄りがなかったり(サラッとそういうこという~…)、結婚、出産を選んでないからだよな、とも…ケアワーク、自分の分だけで済んでるからね。選ばなかった分持ち物も責任も何もかも少ないけど、その分気持ちが少し寂しかったりもする。あと真面目な話、住民票閲覧制限をかけているから身寄りがないわけで、どうする?というのも…公正証書をやるといいんだろうか。あれ高いよね。
色々お金と時間がかかるたびに、世の中は「身寄りのある人」が基本で回っているのだなあと寂しい気持ちにもなります。だから…せめてよく働いて稼いでお金があれば、仕事で何か地位があれば、寂しい気持ちを埋められるのかな、と思ったりも。気持ちの上での寂しさはある程度なんとかなっても、世の中の制度から外れているから寂しいのは動いて声をあげていかないと、そもそも存在すら認知されないね…そこまで考えて、首が締まるようなつらさがある。だからといって諦めてはいけないし、何事も何とかなると思ってやらないと。
(※過去投稿で触れておりますが、実家でDVが酷かったので逃げ出しています)

自分がひとりぼっちになるような寂しさは、たぶん寒いからかな。最近色々な出来事があり一つずつやっつけたりし、それはしんどいよねって自分を励ましたりして雪解けを待つ。世の中って、そう悪く思わないようにしようとしてもうまくいかないね、って。

人生で大切にすることを見誤らず、まっすぐ生きていきたい。

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