風邪が長引いてて無限に眠くて無限にお腹空いてるところをぼちぼちマシにチューニングしています。無限にお腹空くときは普段食べない冷凍食品試してみるとかを楽しみカウントしちゃう。大きい冷蔵庫が欲しくなってきた。鼻うがいを習慣化したい。いつも行く耳鼻科はあるけど自分で出来る予防をする。
第2ビルの花次郎で1200円ほど花を買って部屋に活けた。寒いうちは部屋にいたほうがいい。少しずつ日差しは春になり、そういや作り置きの頻度上げていかないと多分傷むの早くなるな、とか気づく。ご飯は自分に合った量をしっかり食べたほうがいいし作り置きもそう。よく食べていっぱい動くほうが合ってるけど、30代は食べ控えたほうがいいとかあるっぽいね。それも人に依るので、食べて動いたほうが元気な人はそうしましょう。
最近ずっと見てるけど食べることへの強迫観念が落ち着いてきて、でも適量食べて動かないとな…になってきた。ジュース飲まない、一人でいる時に揚げ物を食べない、の前に睡眠がずっと足りてないから何をおいても寝るが先にしてみよう。繁忙期であっても。寝ずにインターネットをやってはいけないし…
よく女性のキャリア形成に「しなやかさ」って言われるけどそうやって型にはめて同じ正解を目指さざるを得ないような構造にしてるのは誰なのか、誰に都合がいいのか。スポイルの連鎖ってやってる側無意識だしなぁ、大方は生育環境で植え付けられたものの再演。
Xのおすすめ欄に吹き上がるDE&I嘲笑みたいなのも、結局は不公平感と会社の中のDE&I担当者が仕事ができなくてとかそこからだろうな、嘲笑できる立場にあるものはみな健康かというと違うっぽいけど不公平感もまた連帯を呼びやすい、学びで連帯したいが難しいのかな。こういう話はLinkedinでしたほうがいいのかも。
子供いないとだめですか、頑張れないとだめですか。今になって解像度の上がる、飲み会は参加してないけど仕事で男社会のノリに合わせたかった自分、実家も自分の家族もないからケアワークが無いから会社に奉仕しないといけないとってもがいてた自分のこと。家族がいて子供がいる人向けの「頑張れ」はあるけど、その「頑張れ」の対象にもなれない自分のこと。見えてないならせめて存在してやろうかな、で居続けている、ずっと。どこにもいない私がここにいるよ。あなたが見たくなくてもね。好かれる振る舞いじゃなくて仕事に必要な振る舞いと、ここにいるよ、の話は教えてもらえないっていうか、意図的に省かれている感じすらある。
あるのは、そうだな、こっちになれよの足の引っ張り合いと、社内における女性のメジャーな在り方と、それすらも実は実態が確かではなくそうあらねばならないが存在するってこと。ばかばかしいものが見えた。もう頑張れないや、と、見えたものに対しての戦略と。
ただバリキャリではないけど結構まじめに仕事してるとか、家族はないけど自活してるとかで、おすすめ欄の叫びそのものにはなれないし、ならないから、連帯と同調はしたくてもできないことがある。抽象化したら出来るけど具体的な気持ちの話なら自分には難しいことがある。疲れたと辞めたいが出てきたけどすぐそうしたいわけじゃないな、春になったらまた変わるのかな。得体の知れない自分と共に生きている。かなり最悪なことに、苦労しているけど幸せ、が共感を呼ぶ概念になり、だから子供がいる配偶者に合わせることがある実家が義実家がが共通の話題になる感じしません?会社とか、働く女性の、って。見えてる世界が狭すぎるのか偏りすぎているのか。
食べて寝て家のことをやらないと気持ちがしおれてしまう。床を掃除するとか洗濯とか。生活の余白が少ないのに仕事の負荷ばかり上がる、人間としてのやるべきがどんどん高度になっていく。人間をやりましょうよ、ってずっと言う。二月も折り返した、深く狭くしか出来ない自分と共に今年もちゃんと生きていきたい…
励ましがあると嬉しいのでマシュマロ置いておきます。よろしくお願いいたします。
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