神戸散策、京都へ移動、ひとりぐらし5周年

お手紙

楽しかった記録とふと思ったこと、ちょっとだけひとりぐらしの話。アイキャッチは京都市動物園から見える山。

2024.8.10は三連休の始まりであり、アンダーグラウンドベーカリーの営業日であり、神戸国際調理製菓専門学校のランチやってる日であり、京都市動物園のナイトズーの日であり。

全部楽しみたいし乗り鉄したいなあと思っていそいそと出かけました。移動距離100㎞超えたのでJR神戸線~京都線で繋がってるのは偉大。

アンダーグラウンドベーカリーは買いたいものが目の前で売り切れたので、神戸国際調理製菓専門学校へ移動。ちなみに買えたらペットボトルの紅茶と共におやつにする予定でした。

ふらっと入ったのでそこそこ待ったけれどそれは計算済み。今回はウエイトリストに名前を書くのではなく、番号札を渡されて電話番号を記入する仕組み。でも外出るの暑いし中の椅子のある場所で待たせてもらいました。

しゃれたレストランで食べたら高いだろうなと率直に思うお品書き。

前菜の鯛のカルパッチョ、切り身が二切れ入っている。量もね、ちょうどいいんですよ…

前菜の後はアボカドのグラタン、カッペリーニ、ガーリックトーストとフォカッチャ、ジュレがいっぺんに来た。

大変素晴らしかった。フルーツトマトの甘味と生ハムの塩気、上に乗っているのはバジルではなくミントだがこれが良いアクセントになっている。胡椒もいい塩梅だった。カッペリーニは家で茹でるとべしょべしょになるが、ここで食べたものは言わずもがないい塩梅の茹で加減でよかった。定期的に正しいカッペリーニを理解する必要がある。

アボカドのグラタンは、中にベーコンとマッシュルームが入っていた。こうしたものはたくさん食べられそうな気がするが、たくさんではなくココットプレートに入っているから良いと思う。何事も適量がある。

バゲットとフォカッチャ両方あるのがいい。豊かな気持ちになった。口直しに食べるのにちょうどいい。

たくさんじゃなくてこの量だからいい(n度目)メニューというのは計算されたものなんだな…としみじみ思った。限界家庭料理ないしベースブレッドとマイサイズでどうにか回す暮らしだと献立概念はとてもじゃないが難しい。たぶん、料理専門の人が家に来ないとできない。日頃節制して割り切って、外で美味しいものを食べれたらいい。これからも人生を丁寧に、日常は最低限のコストでやっていこう、と思った。ちなみにこれで1,200円です。価値ある1,200円すぎるだろ。

ランチの後は阪急三宮方面まで移動して、三宮センタープラザminamoにて献血。休憩がてら献血すな。コンパクトな献血ルームでした。眺めがいいほうが好きな人はミント神戸の献血ルームに流れそうだなと思った。

商店街歩いてたらパール専門店の割引券を貰った。神戸は真珠の街でもある。

JRで三ノ宮から京都に移動。70㎞くらいあるらしくて笑った。ちなみに細々した移動を含めると8.10は100㎞移動していた。

京都市動物園のナイトズーを楽しんだ。これはゾウブログにも書きたい。ゾウは上下関係が厳しいし、海外園でもゾウ同士の嫌がらせの話も聞く。京都市動物園はまだ仲がいいほうだと思う。この日は、一番年嵩の美都が冬美トンクンに近寄って微妙な空気になったのを見た。飼育員さんのガイドの話では、かつて京都市動物園にいた友というメスゾウと春美カムパートが似ているらしく、カムパートは美都にうまいことすりよって餌をくすねたりしているらしい。冬美とも仲良くしてあげてよ。

夏美ブンニュンが何かにぶちぎれてパオパオ鳴いてはプールに飛び込んでいた。嫌なことがあったのか心配だ。人間がゾウの言葉を理解できず申し訳ない。

そんなこんなでへとへと帰宅だったが、楽しかった。三ノ宮と京都は一日で遊びに出るものでもなさそうだし、合間に献血に行くものでもなさそう。楽しかったけど。

8.11は後輩の演奏会の後、森ノ宮よしもと漫才劇場のラフフェスにいた。芸人の上下関係、パワーバランスを読み解く、みたいなことをしていた。出演者は藤崎マーケット、ナダル、兼光タカシ、9番街レトロ、ナイチンゲールダンス。写真撮影コーナーがあり、席は遠かったが頑張って撮った。ナダルわりと好きなんだよなぁ。勝手な意見だが、9番街レトロとナイチンゲールダンスには大阪よしもとのノリに染まらないでほしいと思った。Youtubeでしか知らないけど神保町は雰囲気がよさそうだから…

そうこうしているうちにひとりぐらしを始めて5年経っていた。上手く暮らせていないのが全て、あんまり健康でもないし太った(痩せます…)、頑張ってはいるから過程は評価したほうがいいのかな。いや評価って何よ。
住民票閲覧制限の結果がまだ来てないのでそこはそわそわしている。暇な年寄りの謎の行動力でうちに来られることを阻止したいため。
5年会わないとだいぶ楽だ。そして実家の人たちのことも、自分のことも、俯瞰せざるを得なくなる。俯瞰、言語化、発信、全部しなくていいかもしれないけれど。体調が悪い時、実家の夢を見ることがある。
かつては周りから、結婚して家を出るルートをほんのり期待されていたが、そうはならなかった。しかし、そのルートを選んだ人たちのことは尊重したい、と思っている…自分と違うルートが不正解であることはないため。違う、を尊重したい。独りぼっちではないが単身独居である自分の肯定と、他者の選択の肯定は相反するものではない。きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、きれいごとぐらい存在させたい。現実はつらいと思い込んでいるとその現実のことしか見えなくなるよ。

正しくはなくても暮らせるとか生きていけるとかギリギリひとりにならないとか。そうしたことがある。

マシュマロおいておきます。よかったら。

お手紙
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