そうじゃなくて、/母という呪縛 娘という牢獄 感想文

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「母という呪縛 娘という牢獄」読みました。(リンクはAmazonアソシエイトのアフェリエイトリンクです)感想と自分語りを投げます。
どうでもいいけど今Amazonで見たら物理書籍の高額転売ばっかり出てきてなんなんだろうね。
虐待の話とかあるので読みたくない人は読まないでください。面白がって読まれたくもないですが。

あらすじとかは検索するか上記Amazonのリンク踏むと書いてあります。これは生育環境から離れてある程度ケアがすすんで癒されてる人じゃないとしんどいかもなあ。
この本の娘と自分のかつての環境があまりにも似ていてひっくり返ったのと、しかしそんなに目新しくも思えなかったのは、自分のかつての環境だから、だろうな。それは悲しいことでもある。どこにでもあることだよなあ、とさして心を動かさず読めたのは、それって私自身も問題に向き合おうとしていないということなのか、あるいはもう過ぎた話になってしまったのか。実家から逃げ出して6度目の冬にさくっと読めてしまった。家族主義の匂いが濃い年末年始の長期休暇に読むもんじゃないかもなあ、と思ったし、この本に心を痛めて悲しむ側にもなりたかった、かも。

何度も書いていて申し訳ないのだけれど、私は実家でずっと虐待を受けており2019年の夏に逃げ出して、虐待の証拠もそろっているから住民票閲覧にかかる支援措置をかけることができた。このブログの検索上位はずっと住民票閲覧制限のこと。かつての自分のことを「大変だったね」と客観的に見ることが出来るが、自分が両親と世帯を共にしていた時間はあまりにも長すぎたから傷をどうにかするのは、毎日のこと。

これは自分の話、29歳でやっと実家から離れられてそこからキャリアとか健康とかはやり直しで、でも離れられたのは自分が運よく定職があり自活できるだけの稼ぎがあるからで。離れるのにはお金がかかる、時間がかかる。ただではどうにもならないとわかっているから、「離れたらいいのに」は安易に言えないこと。
離れて分かるのは家父長制の構造と虐待の連鎖が母親にもあったし、無関心の連鎖は父親にもあった。その環境で育った弟も私を目の敵にしてたし暴言とか睡眠妨害とかまあ普通にありましたけど、一般的にはないらしいね。誰の所有物でもなく自分は自分だ、と思えるまでも時間かかったかも。

あかりが受けた仕打ちが自分の受けた仕打ちと同じで、それでわかったのはお勉強ができることとか学歴とかは母親が私に自分自身を投影していたんだろうな~自分の身がわりに成長してくれるとかを、ということ。残念だけど、今の年齢の今の自分自身をやるしかなくて、親と子供は別人格で、お腹を痛めて産んだとて別に愛さなくてもいいし虐待をしてはいけない。私がずっと思っていた「愛されたかった」はそれ以前の、虐待されたくなかったとかだろうな、と解像度が上がった。嫌な上がり方をしている。虐待し続ける中でたまに優しくするとその優しさが良いものに見えて加害者を無碍に扱えないけどそれだけだからな。

この本の親のように、外から見たらいい家で中から見たら地獄、はよくある話で、年末年始やGWになると学校も仕事も休みで家族でいる時間が普段より長くなって息苦しかったことを思い出す。家族で温泉に行かなければならなかったこと、体調が悪くても一人温泉に入らないことは許されず父親の機嫌を取るために入れと言われること、アウトレットモールに連れていかれて何か買わないと父親の機嫌を損ねるからと買いたくもないものを買うとかがあった。そう、父親の機嫌を損ねない道具として子供に指示をする母親がそこに居た。家族を養うお金を稼いでくるのは父親だから、お金の機嫌を取るために子供をコントロールする。嫌だったから抵抗しては怒られていたけれど嫌なことにならされすぎて「でも家族だし」「お母さんはこの環境でかわいそう」を思ってしまって逃げ出せなかった。かわいそうなのはずっと自分だよ。今はもうかわいそうじゃないですけど。

選民思想もあったし今も深層心理でありそうだからものすごく頭を使ってブレーキかけてる、別に私は偉くないし(※この偉いは生きててえらいとかじゃないやつね)、他の人が劣っているわけでもない。優劣の上下の中にいたら自分は息ができない、に気づいたのはそう遠い昔のことでもない。教育虐待は確実にあったし、節約のために母親が同じ部屋で寝ていることもわりとあった。節約のために家族4人同じ部屋で団欒を強いられたが、成人4人が6畳に集まるのは狭いんだよな。父親が無能だ、もずっと言い聞かされていたが、それも母親がいた環境の投影とか繰り返しとか、そもそも父親を尊重できないとか、母親自身に問題があることで。私の場合父親もいい人ではないし彼からもまた虐待はあったのでお似合いですねって思う。お金と上下の構造に縛られて生きてきたところから逃げ出してからが人生本番、って自分については思うけれど、それはたまたま自分の運が良かっただけでこうすればうまくいくなんて人に言えない。本当に。自分が殺す側になってなかったとも限らない。

高校の時、よく家の壁に穴開けなかったねとか教師に言われたけれど、開けることが出来ないように教え込まれていたからで。弟の不登校の問題もあったから余計に自分がちゃんとしてないと、で過ごしていたけれど、別にそうでもなかったんじゃないかな…
自分が潰された選択肢を思うし、それはそうとしてこれから生きていくためには選択肢を作らないといけない。自分の育て直しは大変だけれど、ちゃんとやらないと。

この本の母親のような「あなたのため」は家庭だけでなくビジネスシーンでもよくあるけれど、何のためか、自分の支配下におくための言葉ではないか、をずっと警戒している。思いやりのような都合のいい言葉、外から見て綺麗な言葉は奇麗なだけで中身がない。家族主義もそうだしお金のこともそう、ビジネスシーンなら数値管理かな、HR領域でまあなんかハラスメントにならないようにとか人財()が長く使えるようにみたいな工夫は色々されてるけど、その工夫の中の「あなたのため」の中身はよく見張っておかなければならない。外面がよくて家庭内では虐待をしている家庭はある、それはビジネスパーソンでもいるだろう。虐待をしていてもLinkedinでは立派とかあるだろうな、と思って実名SNSも大したことねえなまでが早かった(Linkedinにいる人みんながそうと言っているわけではない)ビジネスパーソンとしての研鑽の中に虐待のメカニズム理解と自己点検入れといてくれないかなマジで。

実家から逃げて6度目の冬、弟は結婚して別世帯のため、父親と母親ふたりで年越しだろうか。高齢者については特に何も思わないし高齢者福祉を削れには反対だけど、自分を虐待していた父親と母親に限っては、老いぼれ二名で張り合いのない生活を送っていると思うと溜飲が下がる。そうならないように頑張って家族を維持することが出来なかったのって自己責任じゃないですか?これはあなたがたのためを思って言ってます。お母さん、「母という呪縛 娘という牢獄」読んだほうがいいですよ、差し上げましょうか?って言ってやりたい~。
誰かの我慢のもとに成り立つ家族は崩壊する、結婚で逃げた者、両親を虐待の加害者にして支援措置をかけた者。どちらも手段である。結婚しても逃げてもどっちでも立派だけど、私への加害に謝罪がない弟でも結婚が出来るんだから結婚したらえらいってわけでもなさそう。

たまたま分岐が上手くいって一人で安全に暮らせている今、そうじゃなかった分岐を考える。実家を出ることが出来ないままで束縛の中年を重ねていく、仕事も上手くいかない、結婚を”させられていた”とか?ありそうすぎる。今があるのは本当にたまたまだから。

子供時代の親との関係を見つめ直す系の書籍出てるけどそういうのは一人でやるもんじゃなくてセラピスト付きでやるもんやけどな、と横目で見ながら思ったけど、もしかして、大体は、一人でやっても鬱状態にならない程度の家庭環境なのか!?それはさ…よかったじゃん、本当に。大体の悪いことは自分と同じ状態じゃなくみんな安全に暮らしてほしいと思う。自分の話がずっとおぞましいもので、悲しまれるものであってほしい。一般的にならないでほしい。かわいそうな話じゃなくて、他人事じゃなくて、そうじゃなくて、自分の話なだけであって、消費される話じゃなくて、誰の共感も欲しくなくて。

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