書かない間の話

white and yellow flower on pink wall お手紙
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2か月近くブログ書いてなかったけど本当はもっと気軽に喋ったほうが良さそうだった。皆さんいかがお過ごしですか?

過去投稿読み返すと仕事理由でのバーンアウトの兆候は強いし、趣味のことも人目を気にしすぎだ。対立や分断を煽ったり強い言葉を使ったりヘイトに繋がらなきゃなんでもいいじゃんね、と思うけど今の時代に一番難しいのそれかもなぁ。心掛けてはいるものの、心掛けているだけで、できているか分からないこと。
ご時世的に何かを担ぐ気配を感じ、過剰に怯えている感じもある。ただの(ないし、うっすらと好意が含まれたような)感想に悪意まで読み取るのは、疲れてるし、Xに対する防衛反応だよなぁ。
もうバズって嬉しいことはないし、読んでいただける分なるべく引用元を示した正しい情報を人様にお届けせねば、は思う。でも、正しい正しくないじゃなくて、嬉しかったこととか美味しかったものを発信して、そこで言葉を交わしたい、が本当のところ。

空気読みと構造に合わせることの繰り返しにはもう慣れたけど慣れただけで、やりたいことじゃないな。お金のためとか長期的なキャリアのためにはやるけどそれだけだ、の線引きをやりませんか?やれるとかっこいいですよ。もうちょい仕事に対してドライに、自分の心地よさを優先し、生活もそのように組み立てることが出来たら一番いい。SNSにいない、ブログ書いてない間に戻ってきたのはやはりその世界線でした。

割り切れるところ、ゆずれないものの分析のために今本をいくつか読んでいて、分析にはある程度の知識と時間が必要だと思った。3日とかでは終わらない。自分のこれまでの棚卸でいいところも悪いところも見つめ、できないこともよくできるところもまとめて愛すべきところだと思いたい、自分をむやみに否定したり、これが出来るからえらい!と担がないことは自分に対する慈悲となるのだろうな。適切な距離で自分と関わる、自分を褒める、快適な生活を提供する。すぐに崩れてしまうことだから何度でも立て直す。

自分の予防接種歴を確認したく父親(戸籍家族の中でまだ連絡がつく)に母子手帳を局留めで送るようLINEしたら、宛先を尋ねられ(※局留めの住所を返した)、予防接種の欄を写真で撮ったものが送られてきた。また、テキストでも予防接種歴が送られてきた。テキストを売ったのは母親とのこと。
母子手帳そのものを局留めで送らないのか聞いたら、母子手帳を所持しているのは母親だから母親に聞けとのことだった。途中まで送る気だったじゃん…とも思うし、そもそも伝書鳩の機能が出来ればよいとも思うし、いずれにせよ予防接種歴が分かっただけで御の字である。母子手帳って手放したくないものなのかなあ。このことにフォーカスしすぎると「慈悲」の感覚が分からなくなって、残業続きでクタクタの時にこのやり取りだと尚更である。
もうすぐ母の日であり父の日であり一般的には親に感謝する日であり、感謝と孝行を落としどころとする考え、及び母の日父の日商戦を横目で見つつ、そこも適度に距離を置く。自分の両親に感謝はしなくていいので、自分を育て直している自分に感謝をするといいよ、えっじゃあ母の日って自分のことも祝っていいんですか!?(いいよ)あとは母親のゾウとかか。

通院先が増えたりアレルギー検査で引っかかる項目が増えたり体重が増えたり、あんまりポジティブな項目での増がない気もしている。でも増えたのは結果であり、イコール自分を否定するものでもない、と思えた。ここから立て直す判断をした自分はかっこいいと思う。現実的にきちんとした側でない属性ではある、きちんとして見える要素もある。周縁化されていると感じることもある、特権性もある。何度もこうしたことを書いているように思うしこれからも書くだろうけれど、目指す方向を決めて自分と向き合ってるのはかっこいいと思う。

今日これを書いている4/27はキンキーブーツ2025初日。キンキーブーツ大阪公演過ぎたあたりで改めて書きたい話を下書きしておくと、フィナーレで歌われる楽曲”Raise you up”の歌詞の中に「お祝いよ 立とうとしてもがくあなた この手をどうぞ!」というフレーズがある。

この動画の19分ごろ、「12ステップで出来ることは6ステップで出来る」って言ってるけど、この12ステップはアルコール依存症や薬物依存症といった依存症の自助会で回復のために使われるプログラムで、一見キンキーブーツとは繋がらなさそうなものでもある。あとシンプルに劇場の客層と依存症は遠そうに見える。めちゃくちゃ端折ると、キンキーブーツは依存症の話じゃないけれど登場人物それぞれの成長や変化はあり、その過程と12ステップからの6ステップは重なるところがあるように思う。
キンキーブーツ日本初演から観てて何度観てもめちゃくちゃ惹かれる作品だと思うのだけど、なんで惹かれるのかって自分もまた回復の過程だからかな。初演再演はまだ実家にいた頃で高揚感と共に観ていたけど、今はやっぱ気持ちが違う。実家にいた頃の自分とか、働きすぎてしまうなどの自分の気持ちを無視した今からの回復の過程にあって、それを励ましてもらってる気持ちになるから観てる、観たい、かな。自分の現状を認めて回復を選ぶのはかっこいいし、12ステップでも6ステップでも取り組むのはとてもいいことなので。
キンキーブーツの「あるがままの自分」って、アスクヒューマンケアのこのページに書いてあるようにスキルが要ることで、自分の感情を感じてセルフケアをし…が適切にできてこそで。別に依存症の話じゃないけどあるがままの自分と12ステップ、6ステップに言及があるのは、物語の大きいテーマ・軸としてこの考えがあるように思うね。をもうちょい長尺で観た後に書くので、気長にお待ちいただければ嬉しいです。

もっと喋りたいけどこれくらいにしておこう。書かない間も生活改善に取り組み、仕事でバーンアウトし、その反動で冷静になり、劇場にいる、音楽をする、花を生ける、食事をする、毎日決まった時間に寝て起きる、間違えたりその日の正解を出せたりする。自分が生きてたり頑張れてたりを適切な距離で自分で褒められたら一番いいし、そうでない日も合格点がつく。一番難しいのは自分との距離の取り方だなぁ。

お手紙
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