まるごとお休みの土日

お手紙

ちょっと頭の中がうるさいので、今日はブログを多めに書く。トーンが暗い、自分に宛てた手紙、画面の向こうのあなたに、不意に届く手紙。
それでもね、私は私向かいに、よくやっていきたいと思うんだよ。

薄々感づいていたけれど、働くうえでも、マイクロアグレッションの中で片付けられるものがあり、それを目にしたときやはり疲れるな、と思った。

個人の問題と組織の問題とがあるけれど、それらを分解しつつ、心理的安全性について学びたいな、とか、自分の中のマイノリティの要素とマジョリティの要素を数えている。

出口 真紀子:マジョリティの特権を可視化する~差別を自分ごととしてとらえるために~|クローズアップ|東京人権啓発企業連絡会
上記記事の中にあるマジョリティ性とマイノリティ性のチェックリストの中では、マジョリティ性のほうに多くチェックが入る。いつも思うけれど、このチェックを入れるたびに苦しい気持ちになる。チェックの数と、自分が今しんどい思いをしていることは、別だというのに。

週5で定時まで働いて帰る、まではいいとしよう。その後通院があったり、土日にカウンセリングを受けて自分のケアを行う必要があったり、住民票閲覧制限かけるための年に一度の警察と役所、そのほか行政の支援を受けるために動いたり、働きながらやるにしては、余暇が削られていくことが多い。
支援があるだけ良いし、ケアを受けるお金があるということだとも言える。有難いと思わなくっちゃ、はそう。でも、心がキュッと冷えるしんどさがある。マジョリティ性を多く有するなら頑張れ、はあんまり自分向かいに言ってはいけない。

でもなぁ、しんどいんだよ。マジョリティ性をもつことはマイノリティ性を打ち消さないので…やはり心に燻るものがある。また、働くうえでも、社会で暮らすうえでも、自分だけではどうしようもないことも、感じる。
そうしたときは逃げ切り方と、自分がやることを絞る、そして見切るのだ、と、信頼置ける方に相談しながら思った。

ダウンしてしまい、何の予定も入らなかったこの土日、ほっとくと私は寝続けるし、外に出て食べるごはんは美味しいし、自分が今劇場にいないんだなぁとか音楽やりたいな、と思ったり、何をしたら心が喜ぶのかもわかったし、よかった。何もしない(あるいは、したくなったときに、したいことをする)は大事ね。

お手紙
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