next to normal 20250111 兵庫県立芸術文化センター 感想文

ミュージカル

N2N初見でした。ネタバレあり感想書きます。
障害は個性ではありません。投薬や精神疾患のことが分からないほうが感動できそうでいいなって思ってるけど、その「いいな」は特に誰も得しないやつなので、わかるなりに頑張っていきたい。

あと、身近にいる当事者に目を向けることが出来たら…いいですよね、と思う。大体は他の人にばれないように暮らしてたりしますが、もし、そうであると知る機会があればの話。
パンフレットの知識だけでは足りないので、双極性障害について厚生労働省がだしてる記事を貼っておく。我々の税金からできた厚生労働省のサイトにアクセスしましょう。
双極性障害(躁うつ病):用語解説|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト

最近だとこっちのけんと氏と双極性障害のことがニュースになってたな。とんとんとんつーつーつー

母、息子、娘、父親。普通に見える4人家族の朝の風景。

ダイアナの不自然な言動に、夫のダンは優しく愛情をもって接する。息子のゲイブとダイアナの会話は、ダンやナタリーの耳には届いていないように見える。ダイアナは長年、双極性障害を患っていた。娘のナタリーは親に反抗的で、クラスメートのヘンリーには家庭の悩みを打ち明けていた。

益々症状が悪化するダイアナのために、夫のダンは主治医を替えることにする。新任のドクター・マッデンはダイアナの病に寄り添い治療を進めていくが・・・。

ネクストトゥノーマル公式HP ストーリーより

病識、スティグマ、家族の在り方

日本だと、家族がひたすら献身的に尽くし支えて共倒れでもちろん夫は仕事を辞めて娘は彼氏なんていないほうがすんなり受け入れられる話なのかな…と思った。これは日本の医療や福祉に対するスティグマへの悪口です。人がボロボロになって尽くしてるのを見て感動的でもらい泣きとかは、よくないですよ。そんなことで感動すな。

最後まで観て思ったのが「家族が解散できてよかった」なんですが、家族の中の役割ではなく個としての在り方、幸福をそれぞれが見つける岐路に立てたのかな…という終わり方に感じた。希望があって、良かったです。

主人公のダイアナは双極性障害(Ⅰ型かⅡ型かは明記されていない)と統合失調症の女性で、夫がいて、母親。夫のダンはダイアナの治療にも献身的だけど疲れ果てている。娘のナタリーもまた疲れ果てているけれど学業に音楽にと頑張って天才的な…いやそうならざるを得ないほど追い込まれている。優秀な人は何の問題もなくそうなるのではなく、優秀にならざるを得なかった、もあるのよね…
そして息子のゲイブはずっと、ダイアナの傍にいる。

一幕最初のほうでダイアナとダンがセックスしている発言、またナタリーにもセックスしている旨告げるけれど、性交渉で自分たちが夫婦であることを確かめ合ってたんかなあ。向精神薬の中には性欲に関わるものもあるから余計に性交渉できる=夫婦として機能出来るという確認であって、まあそれを愛と呼びたかったらそれでいいですけど~…と夫婦であることのプレッシャーを感じた。ダイアナにもダンにもプレッシャーはあって、ダイアナからすると自分がまとも、ダンからすると自分がダイアナの愛に応えられている、だったのかな。夫婦を続けるというnormalがある…

ナタリーはそんな夫婦、ゲイブに愛情を注ぐダイアナを横目に学業に打ち込み、同級生のヘンリーと付き合う。ヘンリーはADHDでマリファナを吸っている(ADHDがマリファナで改善するということではないが、この時代のアメリカだと手が届きやすかったんだろうね)
ドクター・ファインによりダイアナにガチガチの投薬治療がなされている描写があり、それに対抗するかのようにケミカルな治療より自然派と言わんばかりにマリファナ吸ったりりんご吸ってるヘンリー、こうやって反ワクはうまれていくのかな…と過度な想像をした。私は反ワク怖いしワクチン打つし標準医療派ですけど、効いてるか分からない投薬が続いて苦しんでいる人を見ると反化学療法になるのはちょっとわかるかな。これは医療を受ける人、診断がついてその状態が病気であること、へのスティグマか。ドクター・ファインはあんまりいい医者じゃないね、ダイアナで投薬の実験してる感じしたし、恋愛感情になるように陰性転移しむけてたのキショかった。医者と患者の立場を利用しやがって…

日本ってなにかと障害は個性とか投薬を怖がったりするけど、私は、投薬は自分らしく暮らすための補助輪だと思うんですよね。もちろん補助輪のくせに副作用があってそれはしんどくて、ダイアナも投薬変えたら体重増えたと嘆いてたから全部が上手くいくわけではないが。〇〇〇〇(任意の、精神疾患に対する差別的な言葉)薬とかいわれるのは何なんだろうな。周りに双極性障害の人はいるけど、いるからといってわかるわけではなく、それでもわかりたい、は思う。自分は投薬合わなくて別の方法になったけど、投薬は遠い話ではない。でもメンタルヘルス領域の投薬についてはスティグマ大きいよなあ。

まあ大方は問題に目を背けるから「障害は個性」と言って問題を隠すし、投薬にスティグマがあるわけですが。物語のわりと早い段階で誰が何の問題から目を背けてこうなったが、がわかりやすかったけど、わかるのは自分が置かれていた状況の答え合わせが出来ているからで、わかりたくなかったけどわかりたくないなりに読み解いていく…

支援者は支援出来ててえらいすごい!は言われがちだけど、問題を解決せずに尽くすことで自分を安定させているケースも少なくはなく、ダンもまたその一人。ダイアナが苦しんだままのほうがダンにとっては都合がよかった、なぜならダンの問題に目を向けなくて済むから。
ダンにとってのnormalを保つことは問題に目を向けないことだったけど、ダイアナにとっては違ったね。

グリーフケア、ペリネイタルロス

ゲイブは生後8か月で腸閉塞で死亡しているにも関わらず、ダイアナにとってゲイブはまだ生きている。だからゲイブに目を向けるしナタリーには目を向けられない。ナタリーの行動は特に二幕で荒んでいくけれど、そりゃ亡くなった人の話ばかりずっとされてるときついですよ…

この物語の根幹は、夫婦としての共同生活の中のすれ違いと問題から目を背けたことであって、双極性障害そのものが問題ではない、と思う。一幕後半でダイアナの主治医がドクター・マッデンに代わり、二幕でダイアナは電気けいれん療法を受けて双極性障害の治療を続けていく。
その中でドクター・マッデン越しに夫婦の会話があり、電気けいれん療法で失われた記憶を取り戻す試みがある。家族アルバムを見る、結婚指輪…そして、ゲイブが産まれたときの産着だとかオルゴール。
ダンは自分のせいでゲイブが亡くなったと思っててそこから目を背けているし、ダイアナはゲイブが亡くなったことを思い出していく。多分解離があったりショックが強すぎて記憶に影響してたのかな…亡くなったときに、亡くなったことを受け止めて、時間がかかっても感情にできて言葉にできていればよかったのか。こういうこと書くと自分は外野のくせに訳知り顔で…と落ち込んだりはする。

ペリネイタルロスについてNHKの記事を貼っておきます。

流産・死産・新生児死“ペリネイタルロス”亡くなっても大切な命 クロ現 天使ママ – クローズアップ現代 取材ノート – NHK みんなでプラス

亡くなった子供

ゲイブに生きていてほしかったのはダンのほうだろう。そのほうがずっとダイアナがケアが必要でダイアナの世話ができるから…ただ、痛々しい姿はやはり見ていられないからドクター・マッデンにつながったのかな。ダイアナとダンには同じゲイブが見えていて、ダイアナの支えでありダンにとっては無視せざるを得ないが確かにそこに居るものと認識してそう。ダイアナはずっと向き合いたかったのかもしれない、ゲイブにも、ダンにも。

憔悴しきっているような様子でダイアナに尽くすダンは別にダイアナのこと見れてなくてゲイブは見えてて自分の思うnormalが大事で…けどやっぱ無理は続かないからゲイブについて向き合うしかなかったのかも。

ゲイブは快活な青年で健康そのものに見えるし、一幕終わりは王子様のような服を着ていた。ダイアナの理想の”男性”だったのかも、世話をしてされて包容力がある…ゲイブが一番魅力的なシーンでダイアナは自殺未遂しててしんどいけど、もしかしたらゲイブがもう亡くなってると分かっていてそっちに行きたかったのかな。死ねなかったから電気けいれん療法を受けつつ亡くなったことに向き合いつつ…

そんなことないって言われる話でも、いやそうだよな~って言われる話でもあるんだけど、娘より息子のほうが母親にとって魅力的とかはインターネットで言われがちで、父親/夫が問題から目を背けたり夫婦としてのビジョンが異なると支配しやすいほうに目が向いてそうなる、こともある、全部がそうではない。これは演じる人によってダイアナとゲイブとダンのパワーバランスが変わりそう。ダイアナとダンそれぞれの逃避としての亡くなった息子。

「あなたは私のお気に入りの問題なの」

家族の中で一番割を食っていたナタリーもまた母親についてのケアに縛られていて、ヘンリーとダンスに行く約束よりもダイアナを病院に連れていくことを選んだりする。でもヘンリーとダンスに行くことを選べたし、ダイアナと向き合えたし、「普通の隣でいい」って言えた。背負っていた赤いリュックをダイアナに預けることが出来た。あの赤いリュックとか、衣装の赤は何かしらの問題を示してそう。青が似合うとヘンリーに言われたナタリーはその言葉で荷が降ろせたようで、本当に、よかった。

ヘンリーとて何の問題もないわけではないし欠けはある、そもそもマリファナは…と思うけど、ナタリーの欠け、ヘンリーの欠けそれぞれを補い合って上手くやっていけるといいな、と思った。ナタリーのヒリヒリした感じ、ヘンリーの手を取れないのもわかるし、それでもヘンリーはナタリーについて諦めない、のもわかる。生きていくって手を取れなかったり差し伸べることをやめられなかったり、表面に出ていることだけで処理しない、の繰り返し。若い二人が互いを尊重しあってやっていけるといいですよね…(突然の後方腕組み親族面…)

最後のほうでナタリーがヘンリーに言う「あなたは私のお気に入りの問題なの」が、彼女が自分の言葉を取り戻せて目の前のヘンリーに向き合えて、よかった、と心底思ったところ。本当に100%で相互理解することは今後あるか分からないけど、相手に向ける言葉とかわかりたいの気持ちとか寄り添いたい労わりあいたいとか人間が人間の営みをやっていく上で必要なことはあって、時間がかかっても問題に向き合えそうだなって…

ロールから降りる

家族それぞれのロールはそれぞれにとって重すぎたんだろうな。ダイアナは妻と母親を完璧にやりたかったしそれをやり続けると悪化する、ダンは妻を支える夫でありたかったがそれは妻のためではなく自分のため、ナタリーは目を向けられたかったけどこの家族のままじゃ無理、だったら、家族は解散できてよかった。解散エンド、最高!

ロールから降りてそれぞれがそれぞれらしく暮らしていく中でまた家族は集まるかもしれないし、解散したままかもしれない。ダイアナの病状は悪化するかもしれない、回復するかもしれない。どうなるかは分からないけれど、最後の曲のタイトルは「Light」
今その瞬間の家族に光があると良い。

パンフレットに書いてある薬が古いし精神科医や福祉領域のコメント欲しかった

パンフレットに双極性障害や統合失調症のこと、歌詞の中に書いてある薬が書いてあるのはいいけど古いですよねって話をしていた。2008年オフ・ブロードウェイ初演で、その当時の医療水準のままなんだろうな。
欲を言うと、シアターゴアーな精神科医から見たN2Nとか、福祉領域で双極性障害と関わる人から見たN2Nといったコラムが欲しかったな。劇場の中と外は地続きだから、出演者やスタッフの言葉だけじゃなくて今まさに関わっている人や当事者のことも忘れんといてよ…となる。でもそれは日本では難しいだろうか。Xのおすすめ欄にいる観劇界隈の人たちってあんまりそういうの好きじゃなさそうだし…は偏見か。おすすめ欄に並ぶのはインプレッションの稼げる言葉が中心だから、あんまり気にしちゃいけないな。実際には医療とつながり福祉とつながり観劇をしている人、も存在するけど、家族主義とお育ちと身なりとチケット代とマナーとあと劇場にいる人のことをすぐ晒す人の前だと名乗り出るのは難しいし、お育ち身なり界隈は無視したほうが精神衛生上いいってなる。

観てよかった

自分にとって特段目新しい気付きはなく、ただなんで自分は観劇してるんだろうな?の答え合わせができてよかったです。家庭環境悪かったからこうした家族ものを観ては当時の状況を俯瞰して答え合わせしてなぞって希望を見出して…のセラピーというか作業というか。100同じってわけじゃないし全然違うこともあるけど、抽象化すると共通項が見つかることもあるじゃない。全部をこれくらいの深さの思考を伴う鑑賞にしちゃっててずっとしんどい時があるけど、まあいいです。(思考しなくていいや、ってなったら気楽にしてることもあるので)

日本初演でゲイブを演じられた辛源さんのN2N解説がよかったので貼っておきます。

ネクスト・トゥ・ノーマル〜自分なり解説〜 | 俳優、辛 源のブログ

ここまで俳優さんの話してないな、望海風斗さんの普通っぽいダイアナ(エキセントリックな行動をとりつつもまたnormalがあった)、渡辺大輔さんの献身的だけどそれは自分のためであると気づけないダン、理想であり続ける甲斐翔真さんゲイブ、割を食う中で戦う小向なるさんナタリー、欠けがあるけどそれ以上にナタリーに気持ちを向ける吉高志音さんヘンリー、一番normalであるかのように見えた黒衣装なドクター・マッデン中河内雅貴さん、いい座組でした。このタイミングで書くとってつけた感…

すごい長いN2N感想読んでいただきありがとうございました。当事者はいる、どこにでも。
なにかありましたらマシュマロ投げていただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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