カウンセリングを一年間受けている

30歳最後の日何を書こうか…と思案し、そういや去年の6月から月に一度ペースでカウンセリング受けているのだった、と気づきました。

カウンセリングもピンキリと聞きますが、私が通っているところは関西圏の都市部に近く、公認心理士・臨床心理士の方が開設されたカウンセリングルームです。
観劇後でもアクセスしやすい、カウンセリング帰りに寄り道しやすいというのも決め手ではあった。

通い始めた理由は、実家を出て(去年の6月時点で)一年ほど経つのに自分の主体性だとか何がしたいかとかが全く見えず、また実家にいたときの感覚に縋るような気持ちがあったから。

あ、このブログでは書いていなかったね。今は非公開にしているはてなブログには書いていたのですが、私は所謂機能不全家族育ちで、2019年8月に命からがら実家を脱出しております。また、小学生の折に自閉症スペクトラム障害の診断がおり、成人してから二次障害で鬱になりなんとかなんとか生き延びて…みたいな感じです。
まあそんなことはよくて。

こうも育ち+生まれ持った脳の機能がアレ(これは悪い捉え方、自分のことを悪く言うものではない)だとしんどいばっかりだなと世を僻む目つきが抜けなくて、それで…何らか改善の助けになれば、とカウンセリングに通うことを選んだのでした。

1回5,000円は安くはないけれど、どこにも書けない・言えないことを吐き出すには適切な価格、いやもっと払ってもいい。

過去にあったこと、今考えていること、なんでも吐き出し、時には語気を荒げ、時には泣きじゃくり、人に見せられない部分を解放していた。

一度カウンセリングを受けただけでは変わらなくて、また自分が変わろうとしないと人は変わらなくて…

一年通ったところで、すっかり別人になれるわけもなく。
ただ、自分が歪んでいるとかおかしいんじゃないかな?という疑いは持てるようになり。それだけでもね、収穫なんです。
自分は歪んでいる、足りていないところがある、自分で自分を扱いきれていない、それでも、それでも…なんとかよくやっていきたい。その一心で通っています。

この言葉はこれまでの人生でやらかしたことの免罪符足り得ないし、こうした言葉をきれいに書き出せる自分は信用ならないなぁといつも思う。これしか出来ないってのは、酷いものだ。で、こうやって自己憐憫を増幅させるのも違うから…やっていくしかないんだよ。

自分が何者かはよくわからないまま、多分まだ霧の中にいるんだろうなと思いつつ、それでもカウンセリング受けるのは…ちょっと偉いね。

カウンセラーさんから、自分に優しく甘くできませんか、とずっと問われているので、その取り組みの中で買ったものとかも追々紹介したいです。コスメと入浴剤は効いた。

以下、カウンセリング受けつつ読んだ本。こちらは詳細を追って書いていきます。どういう風に読んだかとか、私の心境の変化とか。

「毒になる親」で自分の親がどれだけ自分にとって悪影響だったかを認識…ゴリッゴリの機能不全家族やん…と震えたし、またそのような家族でも信用し自分の支えにせざるを得なかったという事実を認識すること、大変に厳しいです。しかし、やっていかねばなりません…

カウンセリングを受けることと並行して、カウンセリングで言われたことの理解の補助として読んでいます。自分の中のインナーチャイルドさんを見つけて、癒そうとするやつです。インナーチャイルド見つけると最初しんどいけれど…

鬱状態がきついときはお勧めしない…ちょっと元気なときに呼んだほうがいい本。

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